2018年09月17日

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京都見物最終日になってしまいました。今日も冴えないお天気です。

10:00 ホテルをでて徒歩で二条城へ。ホテルのすぐ横が二条城ですが、入口は反対側のため、結構歩きます。

西町奉行所跡

1600年(慶長5)に置かれます。奉行所というと「遠山の金さん」のように司法と警察、というイメージですが、実際はもっと広範囲の仕事があり、行政などの役所仕事や幕府領の税徴収 など、税務署のような仕事も分担されていたようです。

大学寮跡(源氏物語ゆかりの地)

平安宮の南にあった官史子弟の教育機関で、現在の「国立大学」にあたります。9世紀後半の最盛期には300人ほどの学生が寄宿生活を送りながら勉強していたそうです。 律令制の崩壊に伴って衰退していき、1177(安元3)の大火で焼失したそうです。

源氏物語では、光源氏が夕霧を大学寮へ通わせる描写があるそうです。光源氏は女にはだらしないイメージですが、息子にはきちんと教育を受けさせていたのですね・・夕霧は父とは真逆の誠実な男性だったと思います。

二条城撮影所跡

日活の前身である横田商会が1910年にこの地へ京都初の撮影所を建設したことから発します。

二条城西南隅櫓

屋根の形状は、曲線の「唐破風」。

やっとお城らしい建物が見えてきました。東大手門まであと少しです。

平安京跡 神泉苑 西端線

神泉苑(しんせんえん)は、794年(延暦13)平安京遷都とほぼ同時に平安宮の南に造られた天皇のお庭です。当時の敷地は二条通りから三条通まで南北約500m、東西約240m、池を中心とした広大な庭園だったそうです。

平安京跡 神泉苑 東端線

二条城を造営する際に敷地のほとんどが城内へ取り込まれ、現在のように小さくなってしまったそうです。京都市営地下鉄東西線の工事の際に判明して石碑が建っています。

外濠から南門

1915年(大正4)、大正天皇即位の儀式のために増設されました。外濠を渡る橋が無いので使われていないのでしょう。

二条城

1603年(慶長8)竣工(天守は1606年(慶長11)頃)、同年将軍就任の祝賀の儀を行い、1611年(慶長16)には豊臣秀頼との会見(二条城会見)が行われ、大阪冬の陣においては、 家康の本営となりました。幕末には慶喜の大政奉還もこの二条城で行われました。

徳川幕府の発端から終局までを見続けてきたお城です。

東大手門

二条城の正門です。現在もここからでないと入れません。1662年(寛文2)に造られる。直後の寛文3年の後水尾天皇(ごみずのお)行幸の際にもこの門から入城されたが、当時の門は単層で高麗門だったそうです。石垣より上が増築部分です。

まぁ〜なんと立派な!綺麗な門です。そして、またまた人がいっぱいです。

東南隅櫓

1626年(寛永3)、後水尾天皇寛永行幸の際に建設された隅櫓のひとつです。先ほど外から見た西南隅櫓の屋根が「唐破風」に対して、東南隅櫓は「千鳥破風」、現存しているものは、この東南隅櫓と先ほど見た西南隅櫓の2つだけです。

唐門

唐門も寛永行幸の際に建てられました。柱から上の部分全てに彫刻がなされており、鶴・亀・松竹梅・蝶・牡丹など長寿や吉兆とされる彫刻が多いが、龍や虎、唐獅子などの霊獣も多く彫られています。唐獅子は全部で10頭もいるそうです。

注目すべきは、紋です。菊の御門がたくさんありますが、この下に葵紋が隠されています。葵紋に被さるように菊の御紋がのっているそうです。徳川家から天皇家へ・・時代の移りかわりが感じられます。

二の丸御殿

将軍上洛の際の住居として、家康により1603年(慶長8)に造られ、後水尾天皇行幸の際に家光により改造が行われ、現在の姿となります。1867年(慶応3)にはこの場所で大政奉還が執り行われました。内部の障壁画は素晴らしく、狩野派によるものですが、レプリカです。部屋の用途により図柄が変えてあります。

しかし、内部は撮影禁止です。二の丸御殿内の見学では、障壁画も素晴らしいですが、やはり紋に注目してみてください。菊の紋もあれば葵紋もあります。どうして全部菊にしなかったのでしょうか・・唐門や二の丸御殿外側は全て菊になっています。でも内部には葵が残っています。目立つ所だけ変えたようです?予算の関係でしょうか・・

先日の台風21号で菊の紋の飾り金具が落ちてしまったそうです。確かに無いですね・・今後、修復は可能なのでしょうか。心配ですね。

残念ながら先日の台風21号により、御殿北側の塀が倒壊していたり、倒木があるため、二の丸庭園、本丸御殿は観覧を休止しています。

二条城は本当はこんなに見所がいっぱいなんです。しかし今日は、台風の影響で唐門と二の丸御殿のみが開館しています。

釣鐘

朝廷や大名を取り締まる「京都所司代屋敷」で、火事などの緊急事態を知らせる鐘でした。京都所司代屋敷は、二条城の北に隣接して上屋敷・堀川屋敷・下屋敷と3か所あり、 この鐘は下屋敷で使われていたものが、1867年(慶応3)に所司代が廃止されたため二条城へ移されたようです。

二条城の番所

門番人の詰所で、昭和40年代に復元されたものです。二条城においては、城外との境だけではなく、城内の門の近くにもあったそうです。厳重だったんですね。

二条城内のカフェ

なんだかものすごいメニューがいっぱいありました。ソフトクリームに金箔が乗ってます〜

インスタ映えするメニューが多いですね。

インスタやってないので、シンプルに抹茶ソフトにしました。ウエハースではなく、八つ橋がいいですね!

12:15 次の目的地に向けてバスで移動します。バスもぎゅうぎゅうでした。次の目的地は「伏見稲荷」です。京都駅前で別のバスに乗り換えます。そしてまたぎゅうぎゅう。

京阪電車 伏見稲荷駅

駅舎のデザインが稲荷神社をモチーフにしていて素敵ですね。

伏見稲荷参道

もうほんとすごい人出です。色々なお店があって、屋台もいっぱい出ていて歩いているだけで楽しいのですが、ほんと人が多くて大変です。

伏見稲荷

全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮です。観光客がものすごく多いです。特に外国の方がいっぱいいらっしゃいますね。

711年(和銅4)、奈良時代に稲荷の神が稲荷山へ降りたということです。

朱色が鮮やかで綺麗です。

浴衣を着ている若い女性が多いですね。最近、京都では浴衣や着物のレンタルと着付けを格安でやっいてるお店が多くなりました。

千本鳥居

観光客が多すぎてなかなか写真が難しいです。朝早くに来るのがいいかもしれません。

案内図

案内図を見てびっくりしました。こんなにずーっと奥まであるの〜?一番上まで行けるかしら?今日の新幹線の指定席を買ってあります。

上に上るほど人は少なくなってきます。 一番上の「一の峰」まで行く人は少ないみたいですね。

新池を過ぎ、熊鷹社、三ツ辻・・・の茶屋にあと40分と書いてあります。あと40分・・新幹線に乗り遅れる可能性があります。ここで断念します。次回、時間をたっぷりとってこようと思います。稲荷山をぐるっと回って参拝する「お山めぐり」という巡礼の道も通ってみたいです。

15:00 京都駅に戻ってきました。

京都タワー

あと少し時間があったので、京都タワーへ登りました。今日は天気が良くないのであまり展望は良くなかったです。

とにかく京都はどこへ行っても人、人、人、観光客でいっぱいでした。長いこと東海道を旅してきまして、人がこんなにも多いところはなかったので、ホント、上洛したって感じでしたね。

これで東海道の旅は完結しました。最高に楽しかった旅でした。また、道中に行けなかった場所など心残りも多々ありました。また何かの折に再度行ってみたいと思います。