家康伝説が徐々に増える。徳川家康の生まれた岡崎城へ

2017年5月3日

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9:30 10年ぶりの東海道中を藤川駅よりスタートします。

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藤川駅

10年前とは大きく変わりました。駅舎も新しくなり、駅周辺も大きく変わりました。大きな道の駅や岡崎市東部地域交流センター・むらさきかん等が立ち並び、一気に近代化されました。

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むらさきかん

道の駅で味噌カツ定食をいただきました。大きなカツ、こくのある味噌だれ、名古屋の味を美味しくいただきました。昔の情緒はなくなりましたが、トイレやレストランが作られ便利にはなりました。

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徳川家康像

次の宿場、岡崎は徳川家康の生まれ故郷です。1542年(天文11)、岡崎城内で誕生した家康は、6歳で織田信秀、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、1560年(永禄3)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立し、以来、岡崎城を拠点に、天下統一への基礎を固めまていきます。

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吉良道道標

左は「吉良道」、右が東海道です。江戸時代、参勤交代の行列、助郷勤めの出役、さらには海産物の搬入路など吉良道は重要な脇街道でありました。助郷とは江戸時代、宿場の保護や人足や馬の補充を目的として宿場周辺の村落に課した夫役のことです。
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藤川の松並木

岡崎市指定文化財になっており、現在は藤川町の西端約1km、90本が残されています。

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東海道沿いに休憩所が設けられていますが、車は結構通りますし日陰もなく、あまりいい場所ではありません。

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乙川の河川敷にを発見!! !!茶色と白馬、木に繋がれています。牧場ではないですし・・飼っているのでしようか。

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お年寄りに注意

面白い標識を見かけました。この先、岡崎市にはこの道路標識がいくつも見られました。そういえば静岡でも見かけたような気がします。

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歯医者さんのようですが、素敵な旧家です。

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秋葉山常夜灯

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道標

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西太平藩陣屋跡

「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が1万石の大名となってから明治まで西太平藩主大岡家の陣屋があったところです。門構えは立派であり、最近復元されたものでしょう。門の中は公園となっていまして、見学は自由、トイレも有ります。

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大岡稲荷社

忠公は豊川稲荷を厚く信仰したことから西大平陣屋内に大岡稲荷として社殿を建立しました。現在の社殿は、忠相公没後250回忌の平成14年に再築されたものです。
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太平一里塚

元々あった巨木のエノキは昭和20年の台風で倒木したそうです。現在のエノキは、樹齢20〜30年ほどでしょうか。片側は撤去されてしまいましたが、片側だけでもしっかり塚として残っているのはうれしいですね。

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秋葉山常夜灯

太平一里塚の対面にあります。小さな公園になっています。

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地蔵堂

秋葉山常夜灯横に小さな地蔵堂があります。

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秋葉山常夜灯

法光寺をすぎた右手にある秋葉山常夜灯。

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水準点

常夜灯の前にある「水準点」は、旧字で彫られています。水準点は高さ(標高)の基準となるものです。

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「岡崎城下二十七曲り」ポケットパーク

このあたりから岡崎宿へはいります。

『岡崎城下二十七曲り』

家康が生誕した岡崎城ですが、家康江戸入り後、岡崎城主となった田中吉政により「岡崎城下二十七曲り」が造られました。城下に街道筋を入れ込み、屈曲の多い約4kmの街道を整備しました。 この屈曲の多い街道は、防衛面もさることながら、街道筋に多くの商店を並べ、旅人を滞留させる効果を期待したものだそうです。旅人は滞留し多くの商店の店先を除くとお金を落としていき、かなり大きな経済効果だったと言われます。
TOO001 岡崎城下二十七曲りは、曲がり角が判りにくいですが、このような案内がでていて、安心して歩けます。

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両町公民館

常夜灯の一部が保管されています。ガラス越しに見られるものが、正真正銘、江戸時代のものだそうです。下の台座の部分、かなり削れて丸みがかっています。

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備前屋

天明2年創業、江戸時代後期の創業200年の老舗です。「あわ雪」が美味しいようです。

ゴールデンウィークですが、商店街に人はまばらでした。シャッターが下りてるお店も多い中、備前屋さんは営業していました。

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助郷

岡崎宿内で人馬が不足したときに周辺の村々から雇い入れる制度で、賃金が支払われるものの安く、困窮する宿場の負担を転嫁させられる助郷の村々には不満が募ります。

朝鮮通信使

江戸時代を通じて友好国であった李氏朝鮮は将軍に向けて全12回の使節の派遣をしています。多彩な文化人が加わった平均五百人からなる大使節団でした。

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田中吉政

豊臣秀吉に名前の一字を賜り、秀吉の甥秀次の付人家老として1590年(天正18)に岡崎城に入城し、以後10年間、二十七曲や堀、土塁、総曲輪などを築きました。また矢作川に橋を架け、東海道を城下町に導くことで商工の発展を促し、現在の岡崎の基盤を作りました。

三度飛脚

飛脚には公用の継飛脚、諸藩専用の大名飛脚のほか、一般用の町飛脚がおり、三度飛脚というのは1663年(寛文3)に開業した町飛脚で毎月東海道を三度往復したため、こう呼ばれたそうです。
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御馳走屋敷

岡崎信用金庫資料館近くに「御馳走屋敷」といわれた屋敷がありました。御馳走屋敷とは、役人を接待する屋敷で、いわば岡崎藩の迎賓館のような位置づけになります。

籠田惣門

籠田惣門は、現在の籠田公園前、西岸寺付近にあったとされます。籠田惣門は東門とされ、西門は松葉惣門がありました。岡崎では東海道が東西から城下まで導かれていました。

塩座

塩座とは、塩を専売する権利のことで岡崎では伝馬町と田町が権利を有していました。矢作川を上る塩舟は、岡崎で差し止めて上流へ入ることは厳しく管理されていました。

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西本陣跡

1713年(正徳3)頃には、中根甚太郎、浜島久右衛門の2軒でしたが、後に中根甚太郎、服部小八郎(東本陣)、大津屋勘助の3軒となります。脇本陣は鍵屋定七、山本屋丑五郎、桔梗屋半三郎の3軒が務めています。

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道標

「きらみち・本京みち・西京いせみち」と彫られています。

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旧商工会議所

大正6年、岡崎銀行本店として建設されました。現在は岡崎信用金庫資料館として一般開放されているそうです。

ここから宿場町を歩きつつ、岡崎城へ向かいます。

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白山神社

1547(天文16)岡崎城主松平広忠が兜の中に納めた守護神をまつったのが創祀ということです。当時、武家の間では白山信仰が盛んで、特に松平氏は親氏時代より代々崇敬が篤かったといいます。

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産湯の井戸

家康が生まれたときに使用したとされる産湯を汲んだ井戸が残っています。

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岡崎公園時計塔

ちょうどからくりが始まったところです。中のお人形は、家康公です。9:00〜18:00まで、毎時0分、30分に上演されています。

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若き日の徳川家康銅像?

駿河で元服したばかりの頃でしょうか。竹千代から松平元康と名乗るようになります。

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徳川家康銅像

1542年(天文11)岡崎城二の丸(現在の能楽堂)で生まれました。幼少の頃、人質として苦難の道を歩きましたが、自立した後は天下統一を目指し転戦を続け、1600年(慶長5)、天下分目の関ヶ原の合戦にて勝利し天下を治めることになりました。

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龍城神社(たつきじんじゃ)

社伝によると1452年(宝徳4)あるいは1455年(康正元) 、三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたといい以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と称したとされます。

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岡崎城天守閣

江戸時代の岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、家格の高い譜代大名が城主となりました。西郷氏が築いた当初の岡崎城は、砦のようなものだと考えられていますが、家康の頃までには近世の城郭としての原型ができあがりました。田中吉政は、大規模な城郭の整備拡張を行い、1592年(文禄元)に、城の東・北・西に総延長4.7kmに及ぶ総堀をつくりました。1617年(元和3)本多康紀のときに、三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓をもつ複合天守閣が建てられました。その後、明治6年から7年にかけて取り壊されてしまいましたが、1959年には3層5階建の天守が復興され、2006年には日本100名城に選定されました。

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東照公遺訓碑

碑には家康の遺訓が刻まれています。慶長8年、征夷大将軍になった年にこの遺訓を書いたといわれています。碑は岡崎商工会議所が寄贈したもので、昭和11年に建立されたものです。 

徳川家康 遺訓

人の一生は重荷を負いて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望み起らば 困窮したる時を想い出すべし 堪忍は無事長久のもとい 怒りは敵と思え 勝つ事ばかり知りて 負ることを知らざれば 害その身に至る おのれをせめて ひとを責むるな 及ばざるは 過ぎたるよりまされり
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五万石ふじ

かなり大きな藤棚でした。ちょうど藤が満開に近く、とても綺麗でした。茶店もあり、おだんごとたこやきで一休みできます。

岡崎城の見学だけで2時間もかかりました。

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カクキュー

16:28 カクキュー到着です。時間が遅くなってしまい、工場見学が出来ませんでした。見学は16:00まででした・・・残念です。

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味噌ソフトクリーム

写真では食べてしまった後ですが、ウエハースの代わりに味噌せんべいがついていて、これが美味しかったです。上に掛かっている細かいふりかけのようなものは味噌の乾燥したものでしょっぱい。甘くてしょっぱくて・・不思議に美味しいソフトクリームでした。

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味噌蔵は、川に面したこの場所が材料の運搬などに船を使うため便利だったそうです。

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『カクキュー八丁味噌』は、今からおよそ360年前の1645年(正保2)に創業した八丁味噌の老舗です。場内には、八丁味噌工場見学・史料館があり、味噌の出来るまでを詳しく説明しています。八丁味噌や八丁味噌を使ったお土産品も販売しています。

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八丁蔵通り

かつて味噌仕込み用の蔵として使用され、現在は史料館となっている大蔵は、国の有形文化財に登録されています。

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八丁蔵通り

黒塗りの板張り壁面と漆喰塗の白い土壁の色彩の対比が特徴の「八丁蔵通り」。伝統的な地場産業が息づく町並みです。岡崎城から八丁(約870m)離れていたことからその名がついた八丁村(現在の八帖町)は岡崎の名物、八丁味噌の生産地。昔と変わらず現在でも、2軒の蔵元が八丁味噌を造っており、見事な蔵屋敷が並ぶ狭い路地には昔の風情が残っています。

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『純情きらり手形のみち』

この場所は主演の「宮崎あおいさん」の手形があります。他にも出演者の手形があちこちにあるようですね。

『純情きらり』

2006年前半のNHK朝の連続ドラマです。主演の宮崎あおいさんの婚約者の家業が八丁味噌蔵でこのカクキューとまるやがロケ地だったそうです。

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まるや

もう一軒の八丁味噌蔵の「まるや」さん。
17:00 −ここで本日の東海道中は終了ー 今日宿泊するホテルは、「スーパーホテル岡崎」。岡崎駅のほうなのでここからまた駅の方へ向かって歩きます。

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龍城堀

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岡崎城船着き場跡

積み荷を上げ下ろしした場所です。

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菅生神社(すごうじんじゃ)

乙川沿いの古刹です。岡崎市最古の神社で、徳川家康が25歳の時に厄除け、開運祈願として社殿を築造し、歴代城主にも手厚く保護したそうです。起源は景行天皇(日本武尊)の時代だといわれます。
17:35 スーパーホテル岡崎に到着しました。 歩行距離 19.0km、宿場間は10.7kmほど、観光していると2倍くらい歩いてしまうようです。