見どころのない街道をひたすら歩き、吉田城が復元される吉田宿へ

2005年5月3日

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11:30 二川宿をあとに吉田宿へ向かいます。

旧東海道のクロマツ

幹周234cm、高さ11.5m、樹齢100年以上とされています。このクロマツは、マツクイムシの被害にあい、平成19年に伐採されてしまいました。伐採前に見られてよかったです。

飯村一里塚跡

日本橋より73里目の一里塚です。塚はなくなり、石碑だけが建つのみです。

新町の大灯籠

今でも明かりを灯している秋葉山の常夜灯です。1805年(文化2)に吉田城の惣門の付近に建てられました。5m近いこの灯籠は当時、吉田の名物の1つになったそうです。1944年の三河地震で倒壊してしまい、戦後はしばらく放置されていましたが、1980年、地域の住民の強い要望により豊橋公園内に一度復元され、2001年に東海道宿場制度制定を記念し元あった場所付近に移設されました。

東惣門

吉田城惣堀西で東海道をまたがり、南向きに建てられていました。門の傍には12畳の上番所、8畳の下番所、勝手があり、門外の西側に駒寄せ場がありました。惣門は朝六ツ(午前6時頃)から夜四ツ(午後10時頃)まで開けられていましたが、これ以外の時間は一般の通行は禁止でした。

山田宗?邸跡

江戸時代中期の茶匠でした。父の跡を継ぎ、東本願寺末長徳寺の住持となりますが、茶を好み、18歳のとき宗旦の門に入ります。8年後、皆伝を機に寺を去り、鳴滝に四方庵を営みます。1655年(明暦1)宗旦の推挙で三河国吉田藩の小笠原忠知の茶頭となり、晩年江戸に出て、利休正伝の茶法として宗?流を創始しました。『茶道便蒙(べんもう)抄』『茶道要録』『利休茶具図絵』などを著しました。

山田宗?と赤穂浪士

1701年(元禄14)江戸城松之大廊下で浅野内匠頭は背後から吉良上野介(義央)に小さ刀で斬りかかりました。斬りかかった理由は不明です。幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、藩主を務める播州赤穂浅野家は改易、赤穂城も明け渡すよう命じます。これが元で筆頭家老である大石内蔵助は吉良邸へ討ち入りすることを決心します。一連の事件が「赤穂事件」と言われます。山田宗?は、本所に屋敷替えになった吉良義央(義央も千宗旦の弟子の一人)から、しばしば吉良邸の茶会に招かれています。そのため、赤穂浪士の大高忠雄が宗?に弟子入りし、宗?からに吉良邸で茶会が開かれる日時を聞きだし、討ち入り日を決定したのでした。情報を基に赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、吉良上野介は斬られました。

吉田城・豊橋公園

この奥に公園や吉田城の櫓などがあります。時間の関係で寄ることはできなかったのですが。
吉田城(今橋城) 1505年(永正2)今川氏配下の牧野古白が築城したもので、本丸跡には刻印のある石垣や土塁が残っています。角櫓は昭和29年に再建されたものです。徳川家康の祖父、松平清康は1529年(享禄2)に吉田城を落とし、この戦いを契機に三河の地盤を固めました。明治維新後は解体され、1869年(明治2)吉田は豊橋と改名されました。

吉田城大手門跡

かつての吉田宿は城下町によく見られる曲がり角が多い道となっていました。このあたりの地名「曲尺手町」に名残を残しています。後ろに見えるのが、「豊橋市公会堂」です。1931年(昭和6)に建築され、外観はロマネスク様式を基調とし、スペイン風の円形ドームを有する美しい建築物です。

問屋場跡

1945年(昭和20)の空襲で街の8割が焼失し、現在ほとんどの遺構が残っていません。吉田は、以前は今橋といい、今川義元の所領でありました。姫路城を現在のように改修したことで有名な池田輝正が城主の時、今橋は「忌まわしい」に通じるとして吉田に改名されました。

本陣跡

江戸屋本陣、清須屋と江戸屋は並んでいました。吉田宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒がありました。

本陣跡(鰻屋丸よ)

清須屋与右衛門が務めていた本陣です。建坪は327坪ありました。

脇本陣跡

枡屋鈴木庄十郎が務めた脇本陣です。

きく宗

創業は文化年間の1804年〜1817、菜飯田楽の老舗です。江戸時代から200年以上、現在も営業しています。自家製豆腐に秘伝の味噌を塗り、こんがりと焼いた田楽と細かくきざんだ大根の葉を混ぜ合わせた菜めしが江戸時代より名物でした。

田楽のいわれ

昔、豊作を祈って田の神に奉納した田楽舞の姿が、豆腐を串に刺し、味噌をつけた料理によく似ているため、いつからか田楽と名づけられたそうです。豆腐田楽は室町時代からあったとされています。

西惣門

東惣門と同じように番所、勝手、駒寄場がありました。
13:30豊川に架かる豊橋を渡り、吉田宿をあとに御油へ向かいます。