江戸時代、風光明媚な「呼続浜」は埋め立てで消滅

2017年5月5日

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14:00 鳴海宿をでて、宮へ向かいます。

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丹下町常夜灯

1792年(寛政4)建立の常夜灯です。鳴海宿は、西端と東端、両方の常夜灯が残おり貴重です。

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コノハケイブに再び出会いました。

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丹下砦跡の案内

「グリーンハイツ丹下」の端に丹下砦跡の位置が記してあります。

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丹下砦跡

グリーンハイツ丹下裏の、このあたりの小高い丘にあったようです。

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鉢ノ木貝塚

縄文時代の貝塚です。

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「鳴海宿」の絵図

天白川を越えた歩道上に「鳴海宿」の絵図が展示されています。
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笠寺一里塚

右側だけが残っています。名古屋市内では唯一残っている一里塚だそうです。エノキはかなりの大木でです。

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笠寺(笠寺観音)

聖武天皇の736年(天平8)、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と称したのが始まりとされています。芭蕉ゆかりの春雨塚・笠寺千鳥塚、宮本武蔵の碑などもあります。

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宿場制度制定四百年記念碑

街道のところどころに「宿場制度制定四百年記念碑」が設置されています。

呼続

このあたりは「呼続」という地名です。江戸時代は街道の西側は呼続浜と呼ばれる浜であったそうです。ここで造られた塩は「塩付街道」を通じて信州まで運ばれました。街道東側は松林を望む風光明媚な景勝地だったといいますが、現在は全く面影もなく、内陸部だと思うような場所です。全て埋め立てられました。

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「山崎橋」の親柱

親柱だけ取り残されたようです。

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伝馬の公園

このあたりに一里塚があったようですが、見つかりません。公園が一里塚に似ているのですが、特に案内はないです。

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裁断橋跡・都々逸発祥の碑

裁断橋擬宝珠(ぎぼし)に小田原の陣で息子を失った母が子を思う銘文があり、旅人に感銘を与えたといわれます。今あるのはレプリカで本物は博物館にあるようです。元々は宮宿外れの精進川に架けられていたものが流路の変更で埋め立てられ、路傍に放置されていましたが、この場所に1/3の大きさで復元されたものです。

都々逸発祥の碑

都々逸は江戸時代末期、都々逸坊扇歌によってつくられた口語による定型詩です。七・七・七・五の音律、三味線と共に歌われ寄席や座敷などで演じる出し物でした。誰でも歌える都々逸が江戸庶民に受け入れられ、大衆娯楽として広まったようです。短歌は5・7・5・7・7、俳句は5・7・5、都都逸は7・7・7・5、この違いを良く表している都都逸があります。 

「和歌はみやびよ 俳句は味よ わけて都都逸 心意気」都都逸は心意気といいます。よく知られている「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の音がする」「立てばシャクヤク 座ればボタン 歩く姿はユリの花」、これらは皆都都逸だそうです。こうした歌は知っていましたが、都都逸だとは知りませんでした。なるほど、俳句や短歌などより庶民的で面白いですね。
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道標 東海道と美濃への分岐点

かなり古く、石の角が丸まっています。前方の「ほうろく地蔵」はかつての「源太夫社(上知我麻神社)」、知恵の文殊様として知られていました。現在、源太夫社は熱田神社内に移され、さらに別場所にあったほうろく地蔵がここへ移ってきたそうです。現在は人通りのまばらな場所ですが、当時は往来が激しく賑わっていたようですね。当時の尾張名所図会から伺われます。
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宮の渡し公園、熱田湊常夜灯

この浜から桑名まで、東海道唯一の海上七里の海路です。陸路の「佐屋街道」もあり、船を嫌った人々は佐屋街道を通り、桑名へ向かいました。佐屋街道は、熱田より西へ「岩塚・万場・神守・佐屋」と4つの宿場を経て木曽川を三里下り、桑名へ至ります。

16:40 なんとか、かんとか到着しました。日が暮れそうです。

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時の鐘

1676年に建立され、旅人に正確な時刻を知らせていましたが、戦中に焼失してしまい、1983年(昭和58)に復元されたものです。

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広重の七里の渡し

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「七里の渡し」の絵図

今日はここまでですが、帰りに「熱田神社」へ寄っていきます。

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熱田神社

三種の神器の1つである草薙剣を祀る神社として知られますが、剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれています。諸説あるものの、草薙神剣の創祀は景行天皇43年、熱田社の創建は仲哀天皇元年、あるいは646年(大化2)と伝わります。古くは尾張国における地方大社として存在感を示し、中世以降は政治的・経済的に急速に台頭して、「日本第三之鎮守」、「伊勢神宮に亞(つ)ぐ御由緒の尊い大社」とされるほどの国家的な崇拝を受けています。
TOO001 織田信長が桶狭間の戦いに臨む前に戦勝を祈願した神社としても有名です。

17:30 本日のゴール、神宮前駅から帰宅します。

都々逸というものを少し知ったので、都々逸で締めてみましょう。

東海道を 歩けばふれる 江戸庶民の 旅もよう