由比正雪の生家は本当に「正雪紺屋」か−由比の桜えびをお土産に

2002年10月13日

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15:00 蒲原宿をあとに由比宿へ向かいます。

由比宿まではあっという間ですが、所々に古い家屋が残っていました。

水神様

由比宿へ入ってきました。

立派な古い家が残っています。

御七里役所跡

江戸時代、西国の大名には江戸屋敷と領国の居城との連絡に七里飛脚という直属の通信機関を持っていました。ここは、紀州徳川家の七里飛脚の役所跡です。江戸・和歌山間584kmに約8里(28km)毎の宿場に中継ぎ役所をおき、5人1組の飛脚を配置したそうです。
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東海道広重美術館

様々な浮世絵の展示はもちろんのこと、浮世絵の出来上がりまでの工程や旅の携行品など興味深かったです。じっくり見学し、1時間を要しました。

馬の水呑場

この復元された屋敷前の池は、幅1.0m、東西20mもあります。江戸時代、大名の馬に水を飲ませたり、体を洗ったりしたところです。当時は水深60cmありました。屋敷前の街道筋にこのような施設があるのは他に類を見ない珍しいものです。

明治天皇由比御休所

明治元年東京行幸の際、明治11年北陸東海巡幸の際に本陣の離れで小休されました。
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由比本陣

由比氏が努めた本陣で、広さは1300坪ありました。主屋は明治元年に解体されてしまいました。

本陣井戸

江戸時代、本陣で使用されていた井戸です。深さ三間(5.5m位)で、周りの井筒は切石が積み上げられていました。現在の水量は少ないですが、物見塔に引き込まれ、壁泉から徒渉池の流れの水源となっています。

御幸亭

明治天皇が小休止された本陣離れの館を復元したものです。回遊式庭園には家康お手植えの松があり、馬繋ぎの榧(かや)があることから「松榧園」と山岡鉄舟により名付けられました。

由比本陣の松

家康お手植えの松は昭和50年までこの場所にありましたが、マツクイムシの被害にあい、枯死したため現在はなくなっています。

正雪紺屋

江戸時代初期より400年近く続いた紺屋(染物屋)です。屋内には土間に埋められた藍瓶がずらりと並び、染め物用具などが残され、昔の紺屋の様子が偲ばれます。藍染の小間物などが販売されています。由比正雪の生家と言われていますが、異論もあります。しかし、店の裏には正雪を祀る祠があり五輪塔が残されています。その下には正雪の遺品が埋められているとされ、何らかの関係があったことは確かなようです。

由比正雪

江戸幕府の公式文書では駿府宮ケ崎の岡村弥右衛門の子としています。歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、1605年(慶長10年)、駿河国由井において紺屋・吉岡治右衛門の子として生まれたということになっています。歌舞伎は様々な脚色がなされますので、有力な説は、幕府の公式文書でしょう。正雪は江戸へ出ると軍学者となりますが、士官にはつかず軍学塾「張孔堂」を開きます。1651年(慶安4)浪人の救済と幕府への失望から各地で浪人を集め、幕府転覆を企てます。しかし直前で計画を密告され、府中の宿で追手に囲まれ自害しています。これを『慶安の変』といいます。

脇本陣温飩屋

由比宿では3度脇本陣が変わっています。その中で、江戸時代後期から幕末まで脇本陣を努めたのが温飩屋です。

明治の郵便局舎

江戸時代の文書の送達は飛脚によって行われていました。明治4年、郵政制度の創設により飛脚屋は由比郵便取扱所となり、さらに明治8年、由比郵便局と改称されました。明治39年に平野義命氏が局長となると自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年郵便局を移転し昭和2年まで使用されましたが、現在は平野氏の住居となっています。

東海道由比宿おもしろ宿場館

由比出身の画家、松永宝蔵氏がデザインした人形で旅籠、桶屋、寺小屋など、旅人で賑わった江戸時代の宿場町や、本陣奥間に参勤交代のお殿様やお姫様、豪華絢爛な大名駕籠や家臣など本陣の様子が展示されています。時間がなくなってしまいましたので、こちらには寄りませんでした。

ばったり床几(しょうぎ)・揚げ店

ばったりとは、折りたたみ式の腰掛けで収納するときに「バッタン」と音がするところから名付けられています。上げ下ろしにより簡易に店先となる仕様になっています。現在は、京都の町家にわずかに残っているそうです。

西木戸・由比川橋

江戸時代には、西木戸の先は枡形になっており、左折してもう少し海に近い方へ橋がかけられていました。現在はまっすぐに由比川橋を渡ります。
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由比川

全長4.8kmの二級河川です。中流には鮎も生息しているそうです。現在の由比川橋の手前が桝形になっており、一旦左に折れ、JR線路の手前くらいにかつての「玉鉾橋」が架かっていたと思われます。

消防倉庫にも「由比 さった嶺」が描かれていました。

せがい造りと下り懸魚(げぎょ)

「せがい造り」とは、軒先を長く出すために、平軒桁へ腕木を付け足して出桁とし垂木をおいて支えとしたもので、由比町の町並みに多く見られるそうです。「下り懸魚」は、平軒桁の両端が風雨による腐食を防ぐための装置で、雲板型の板に若葉、花鳥などの彫り込み装飾を兼ねています。懸魚は水の代わりに魚をつけることで、木造住宅を火災から守るおまじないのようなものです。写真には下がり懸魚が写っていませんでしたね。

由比の桜えび

由比駅へ向かう途中は桜えびを販売しているお店がたくさんあります。由比は桜えびで有名です。シーズンになると天日干しする桜えびで海岸が真っ赤になるそうですが、明治時代に偶然網にかかったものが見つかり、名物になっていたったそうで、それ以前はアワビ・サザエが名物で、サザエのつぼ焼きが名物だったようです。江戸時代の旅人は、桜えびは食べてなかったのですね。桜えびを販売しているお店の1軒に入り、桜えび1パックとしらす1パックを買いました。どちらも1000円でした。こんなにたっぷり入っていて1000円とは安いですね。桜えびは生のまま冷凍してあります。生の桜えびは初めてで、食べるのが楽しみです。

豊積神社

社伝では、791年(延暦10)の創建。坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願します。帰路に戦勝祝として神楽を奉納したと伝わり、お太鼓祭の起源はその神楽にあるそうです。

17:30 由比駅到着!今日は由比駅から帰宅します。

帰宅後、桜えびをかき揚げにし塩をぱらりとふり、ビールと一緒にいただきました。とても美味しかったです。安かったので贅沢に桜えびのみのかき揚げにしてみました。お土産に桜えびはおすすめです。