2020年8月15日

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宿泊した『妙高サンシャインホテル』へタクシーの配車をお願いし、昨日のゴールとした「関山神社」へ向かいます。\1,600くらいでした。

9:45 関山神社の前からスタートします。今日も暑いですが、青空で気持ちいいです。

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関山宝蔵院跡

宝蔵院は関山権現の別当地であるとともに、将軍家より所領100万石と妙高山、茶臼嶽、神奈山、火打山、不動山を朱印地として認められた領主でもあり、政治的、経済的に大きな影響力を持ちました。明治の廃仏毀釈で廃されましたが、現在は跡地の再生へ向けて工事が行われているようです。また、1712年(正コ2)から1868年(慶応4)までの「宝蔵院日記」が現存しています。

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宗?句碑・関山小学校創設の地碑

『水にすむ心やみ山あきの庭』

1478年(文明10)関山を訪れた連歌師、宗?の句です。

関山宝蔵院廃寺後は、関山小学校として使用されていました。

宗?(そうぎ)

宗?は、1421年(応永28)から1502年(文亀2)、室町時代の連歌師です。生まれは紀伊とも近江とも言われています。連歌とは、上の句と下の句を複数人で順番に詠んでいくものを言います。1488年(長亨2) 北野連歌所宗匠となり、名実ともに連歌界の第一人者となりました。生涯を通じ、たびたび各地を旅していますが、直江津から関東に向けた旅の途次、箱根の地で没しました。

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歴代住職の墓地

庭園の左手から少し登っていくと墓地があります。第18世まで続いた歴代院主の墓所が広がっています。また、墓所の一角には 上杉景虎の側室とされる妙徳院の供養碑もあります。

宝蔵院の僧兵

1568年(永禄11)武田信玄が飯山城を攻略し関山へ侵攻する恐れがあったため、上杉謙信は長尾景信、山本寺伊予守らを派遣し、宝蔵院宗徒に関山城を死守するよう命じました。宝蔵院は大勢力の僧兵集団を有していたことがわかります。

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慈雲寺

関山神社の別当寺院であった宝蔵院の寺の一つのようです。

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関山仲町の石仏

こちらの石仏も妙高山周辺で見られる石仏の特徴を持ち、凝灰岩の丸彫です。

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関山石仏群

妙高山周辺は古くから山岳信仰の霊場であり、関山周辺では地元から産出する凝灰岩を丸彫した石仏が多く見られます。生け込み式(植え込み式)と言われる上半身のみの石仏で、製作年代は平安時代後期から鎌倉時代とされています。

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蜀鶏(トウマル)飼育舎

「蜀鶏飼育舎」という看板がありました。

日本には、「日本鶏」という固有の鶏種がいますが、そのうち尾長鶏など17種が天然記念物に指定されており、新潟県原産の鶏が「蜀鶏(トウマル)」です。唐丸と書くこともあるようですが、天然記念物指定の名称は「蜀鶏」となっています。中国渡来の大唐丸と小国との交雑による鳴唐丸が起源と考えられているそうです。 昭和14年に天然記念物に指定されました。

古事記には天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、八百万神が常世長鳴鳥を鳴かせ、大神を呼び出した神話が記されています。古くから鶏は太陽を呼び出すものとして考えられて来ました。伊勢の三郎の伝説にも「唐丸」が登場していました。新潟県の彌彦神社では毎年、長鳴鶏の鳴き合わせが行われています。一度見てみたいものです。

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北沢一里塚

西塚のみが残っています。塚に植えられている樹木は「ケンポナシ」という、梨のような味の実がなるそうです。

「北沢一里塚」を過ぎた左手、国道との交差点に『北沢の一本松』があったようですが、現在は見当たりません・・・枯れたのか、倒れたのか・・・

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泉縄文公園

上越市中郷区では今から8000年〜1万年前の縄文草創期の遺跡からたくさんの貴重な出土品が見つかっています。公園として整備し、憩いの場所となっています。
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稲荷山新田

中郷村は江戸時代、街道に沿って多くの新田ができました。

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漆間與三郎之碑

漆間與三郎は、政治家であり、思想家でした。 ここ中郷村の村長を務め、第一号名誉村民でした。日本電気亜鉛二本木工場(後の日本曹達)の誘致に努めた人物です。昭和25年に建立された碑で、竹内忠雄の揮毫によるものです。竹内忠雄は、日本書道教育学会理事、新潟大学名誉教授であった竹内忠雄 (臨川)氏だと思われます。

漆間與三郎(うるまよさぶろう)と日本曹達

1875 年(明治8)與三吉の長男として、福崎新田村に生まれました。庄屋であった與三吉は村長として 1899 年(明治32)から13年間村政に尽くし、1912 年(大正元)與三郎は父を継ぎ、4代目の中郷村長に就任しました。

第一次世界大戦が始まると亜鉛価格の高騰がおこり、関川水系の電力に恵まれた中郷村に、1917年(大正6)日本電気亜鉛株式会社二本木工場が設立されました。この工場の誘致には村長の與三郎が、村会議員の宮尾孝哉、越後電気とともに尽力しました。翌年、日本電炉工業株式会社と改称後、隣接地に設立された日本曹達株式会社に1926年(大正15)合併されました。

1918年(大正7)、日本電気亜鉛株式会社二本木工場の煙毒に始まる公害問題は、日本曹達株式会社による各種公害とともに、1943年(昭和18)まで地元側と補償をめぐり争われました。村長の與三郎が立会人となり、協定覚書が取り交わされましたが、1938年(昭和13)には煙毒問題が新井町・矢代村に拡大し、汚毒水排水の鉄管埋設問題や渇水による工場用水の取水問題がおこりました。與三郎は農会長として村内の補償交渉に立会い、1940年(昭和15)には煙毒問題に関する補償協定書が交わされました。 與三郎は、1958年(昭和33)に中郷村名誉村民第1号となり、翌8月に82歳で亡くなりました。

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稲荷神社

境内にある石仏の標柱に一つは「稲荷神社庚申像」と書かれ、もつ1つには「稲荷山神社跡地の石仏」と書かれています。うーん・・・どう解釈すればいいのでしょう。ここは稲荷神社で、稲荷山神社という神社が別にあり合祀され、その石仏がここへ移されたと考えてよいのでしょうか・・・
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猿石(庚申像)

江口新田の神明社にあったそうですが、稲荷神社へ移されました。豊作吉祥の神として鎌倉初期に造られ、大陸文化の影響があると言われます。

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昨日宿泊した『妙高サンシャインホテル』がこの地からでもよく見えまた。
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覚願寺、馬頭観音

開山は戦国時代の1524年、本尊は、阿弥陀如来です。本堂は築250年になるそうです。

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片貝のお地蔵様

新しい覆屋に納まるお地蔵様は、結構新しいもののように見えました。

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片貝縄文資料館

県指定史跡「籠峰遺跡」をはじめとした、数多くの縄文時代の遺跡が見つかっています。出土した土器などを展示しています。廃校となった片貝小学校を再利用しています。

自動販売機が全くありません。コンビニも皆無です。最初に持ってきたペットボトルは既に空っぽ・・・「片貝縄文資料館」へ曲がる角に「片貝農村公園」という公園がありました。ここに水飲み場がありました。恵みの水!!粉末のスポーツドリンクを待っていたのでこれを空のペットボトルに入れ、水道水を入れて飲みました。ぬるいですが、それでも熱中症対策にはなります。また、この公園にはトイレもあり、ほんとうに有り難い公園でした。この先、安楽寺前の商店の自動販売機まで何もありません。夏場はくれぐれも飲み物が切れないようご注意を!!

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片貝の筆塚

伊勢国津藩槍術指南役で、浪人中の公田権右衛門と和五郎親子が、江戸後期に寺子屋を開き、村民に文字や書、詩歌などを教えました。徳を称え、村民が造立した筆塚です。

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諏訪神社

由緒などはわかりませんが、綺麗に塗り替えられた鳥居、社殿も綺麗ですし、草刈りもきちんと行われています。地域の方に大切にされている神社です。
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馬洗場の大石

自然石を彫り階段状にし、馬頭観音が3体祀られています。北国街道分間絵図には、「此の所ニ木曽義仲ノ太刀割ノ石アリ」と書かれています。この大石が「木曽義仲の太刀割石」との説もありますが、片貝橋近くの上市屋に割石の地名が残っているそうです。

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市屋一里塚跡

案内板等はありません。北国街道分間絵図にも市屋の一里塚は描かれていません。「北国街道を歩く」によると、このあたりに一里塚があったとされます。

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「これより松崎宿」案内板

松崎宿と二本木宿は合宿でした。1ヶ月のうち前半15日が二本木宿、後半15日を松崎宿で宿場業務を行っていました。

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若宮神社

神社前で街道は大きくカーブしています。松崎宿入口の桝形とされます。

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高橋荘一郎之碑

「名誉村民」、「単光旭日章」と彫られていますが、残念ながらどのような人物か不明ですが、「単光旭日章」は公職では町村長、都道府県議会議員、市議会議員、特別区の議員、町村議会議員、公益団体では市町村の区域を活動範囲としている団体の長が対象、となっていますので、議員などの政治家であったと思われます。書は、新潟県知事、君健男となっています。君健男は、1974年から1989年(昭和49〜64)にかけて新潟県知事でしたので、この間に建立されたものだと思います。

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妙高はねうまラインの踏切を渡り、松崎宿の中心地へ入っていきます。2019年10月の台風において、妙高はねうまラインの二本木─関山間の中郷区片貝付近で線路の法面が崩落したそうですが、現在は復旧しています。

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松崎宿

現在の松崎宿は豪雪地帯特有の高床式、屋根は急傾斜が付けてあり、雪下ろしをしなくてもいいように工夫された新しい住宅が並んでいます。

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中郷村道路元標

大正8年、道路元標を各市町村に置くことが定められ、翌9年に高崎〜長野間が国道10号線、長野〜直江津間が、国道11号線となりました。現在中郷区西の国道は当初「国道11号線」であり、昭和27年に道路法が改訂されて、国道10号線と国道11号線が現在の国道18号線になりました。

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馬頭観音

とても精巧に彫られた馬道観音です。
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安楽寺

松崎宿にも二本木宿にも本陣は置かれませんでした。そのため、必要なときは「安楽寺」を本陣としていました。安楽寺庫裏には「上段の間」があり、加賀藩前田家の休憩所となっていました。

安楽寺

創建は不明ですが、寺伝によれば、八幡太郎源義家の子孫、仁木次朗義勝の三男、仁木義長より六代の末孫、竹田伊勢守入道浄貞蓮如上人の弟子となり、1497(明応6)信州水内郡大川に居住していたとされます。三代浄西は、中頸城郡大鹿に移り、1520年(永正17)現在の地に移ったといいます。現在の本堂は1812年(文化9)に再建したものです。

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明治天皇休憩所

1878年(明治11)9月11日の7時頃、関川の大石新六郎家を板輿で出立、二本木の松原弥惣家で小休後、新井の行在所、東本願寺新井別院へ到着されました。
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白山神社と石柱

石柱は以前、130m北側にあったものを移しました。石柱には「従是内、口附無之、小荷駄乗通るべからず、邑の内、咥きせる無用、二本木宿」と彫られています。二本木宿に入ったら小荷駄(荷物を馬に付けている者)は馬に乗って通っていけない、村内はくわえキセルをしてはならない、人が多いためくわえキセルによる火事が怖かったようです。

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片貝川

2019年10月の台風では、片貝川沿いの田畑にも大きな被害にあったそうですが、現在の田んぼには稲が元気に育っています。田んぼの奥の方ではまだ復旧工事が続いていました。

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「此れより二本木宿」

続けて二本木宿へ入っていきます。

『吾嬬(あずま)紀行』には「二本木といへども酒は一本木、水くさくなく宿のもてなし」とあるそうです。「お酒は1等級のように美味しく、水も美味しい、宿のもてなしは実に良かった」と解釈すればいいのでしょうか。

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神明神社

坂本新田にある神明神社です。坂本新田は二本木宿の子村でしたが、明治末には二本木駅ができ旧中郷村の中心集落として発展し、坂本銀座と呼ばれていたそうです。
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山下英雄之碑

新潟県中里村前村長をされていた山下英雄氏でしょうか。あまり正確な情報が見つけられませんでした。碑のすぐ脇には上半身が彫られた石像があります。この方が山下英雄氏でしょうか。

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二本木駅

二本木駅は、新潟県内唯一のスイッチバック式が残る駅です。新井−妙高高原間は、約25‰の急勾配であったため、明治44年の開業時からスイッチバック式が採用されました。スイッチバックとは、当時の蒸気機関車が力不足で隣の関山駅までの急勾配を上れなかったため、平らな場所にある二本木駅でいったん後ろ向きに折り返したあと、再加速し、勢いをつけて坂をのぼる仕組みです。

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ランプ小屋

明治43年に竣工しました。かつて車内灯にランプを用いていた時代、その燃料を保管するためにレンガにより建てられました。かつては全国の駅にありましたが、多くが取り壊され現存するものは貴重です。

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ホーム上屋

上屋は昭和12年に掛けられました。当時は鉄がまだ不足していたため、古くなり交換されたレールが再利用されました。「1923」及び「TENNESSEE」の刻印があるアメリカ製のレールと「1929」及び「八幡製鐵所」の印である「S」の刻印がある国産のレールが使用されています。この上屋も国の有形文化財に登録されています。

日本曹達 二本木工場

二本木駅の西側には漆間與三郎が誘致に尽力したとされる「日本曹達」の工場があります。電解ソーダ製造のため、大正9年に操業を開始しました。電解ソーダは、塩水を電気分解して、か性ソーダ、塩素、水素など幅広い産業分野の原料・副原料、反応剤などに使われる化学薬品となります。過去には公害問題もありましたが、現在も地域雇用の中核を担い、最盛期には1万人以上の従業員が働いていたといいます。平成19年までは原料や製品の一部が鉄道で輸送されていました。
14:00 二本木駅より長野駅へ戻り、コインパーキングに停めてある車をピックアップし、帰宅します。

今回は7日間の長旅でした。今回は暑さが厳しく熱中症を心配しましたが、なんとか乗り切ることができました。自動販売機やコンビニが全くない区間が長いため、自動販売機で飲み物を多めに買っておけば良かったです。何度か水切れで辛かったです。

長野県から新潟県へ入り、日本海までもう一息です。