2022年4月29日

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11:10 三留野をあとに妻籠へ向かいます。

TOO001 梨子沢を渡り、その先は民家前の幅が細い階段が旧中山道です。道路改良により段差ができてしまったようです。 民家と民家の間の細い中山道を抜けると畑が広がります。すぐに小さな川に突き当たるので右へ曲がり名もなき橋を渡ると、とうとう雨が降ってきました。カッパを着て進んできます。

木曽森林管理署を過ぎて100mほど左手の高台に「住吉神社」があります。入口がちょっと分かりづらいですが、左手民家の横を斜めに入り、突き当りの山裾を左手へ戻るような感じです。

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住吉神社

創建などは不明ですが、「中山道分間延絵図」には描かれています。絵図では堂が描かれていますが、今は社殿もなく石碑のみで、鳥居も無くなっています。隣は「和合北区集会所」になっています。
住吉神社から「南木曽の木材集積所」を右手に見ながら600mほど進むと左手に立派な石垣の旧家があります。ここが牛頭天王神主を務めた園原家です。

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南木曽の木材集積所

木曽の木材は良質で、江戸時代は尾張藩の直轄地でした。江戸城の築城や造船、土木用材などに利用され、大量に伐採されたため枯渇し、尾張藩はヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの伐採を禁止しました。伐採した者には「木一本、首一つ」と呼ばれ厳罰に処されました。現在も木曽は木材の宝庫です。

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園原先生碑

「木曽古道記」「御坂越記」などの著者である神官園原旧富の顕彰碑で、1787年(天明7)尾張・美濃・信濃の門人たちによって建立されたものです。碑文の撰者は尾張藩士で儒学者、地理学者でもあった松平君山(くざん)です。

園原旧富

1700年(元禄13)の生まれで通称耶麻登、桂翁と号しました。京都で学び、神祇管長吉田兼敬に学び神の秘訣を受けて「神学則」を著し天王社神主として神に仕える傍ら師弟に教育し臼挽歌を作り子供たちが学びやすいようにしました。また木曽路が時代とともに変貌していくことを嘆き「木曽古道記」を著し、1776年(安永5)に没しました。

園原家の住宅は県の文化財です。「中山道分間延絵図」にも『牛頭天王神主 園原家』と記載があります。

このあたりから南木曽駅を経て桃介橋をわたり、天白公園へ足を伸ばしてもいいかと思います。私たちは前回、寄ってしまいましたのでここはそのまま中山道を進みます。

旧家が残る雰囲気の良い静かな道を300mほど進むと左手に大きな枝垂梅が見えてきます。

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和合の枝垂梅

遠山家の庭木が残っています。遠山家は江戸時代における木曽谷で最初の酒造家であり、庄屋も務めていました。酒好きの蜀山人も立ち寄ったことが「壬戌紀行」に記されています。 1788年(天明8)「木曽谷酒屋株調」によると木曽谷中には31軒の酒屋があり、そのうち2軒が三留野にあったとされます。
200mほど進むと正面にSLが見えます。休憩に便利なSL公園ですが、雨が一層ひどくなってきました。足早に先を急ぎます。

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SL公園の機関車

D51、「デゴイチ」と呼ばれる機関車が展示してあります。昭和15年から30年間ほど使用されていました。昭和49年からこの中央線の旧線上に展示されています。

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一刻院

SL公園の中にお堂がありました。観音堂でしょうか。1997年(平成9)建立と書いてありましたので最近建てられたものでしょうか。
SL公園を過ぎると坂道になり木曽川支流の小さな川沿いを登っていきます。川の対岸に秋葉神社が見えます。坂を登って左カーブの左手崖の上に「馬頭観音」と「経塚塔」がありました。

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馬頭観音・経塚塔

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アスファルト舗装の道ですが、どんどん山の中へ入っていきます。雨もどんどん強くなり、ずぶ濡れです。しばらく進むと人家があり、「神戸立場」です。

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神戸立場

往時はまんじゅう、あんもちが名物として知られ、大田南畝(蜀山人)は「試にあんもちを味ひみるに、味ひ都下にはづる事なし、東海道にもかゝる餅はまれなるべしと思わる」と記しています。 「中仙道十四垣根」の錦織五兵衛は神戸立場の尾張屋勘右衛門宅で小休しています。
神戸立場から150mほど左手に「袖振りの松」、その向かいに「神明神社」、神明神社社殿横の階段を下りると「かぶと観音」です。

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袖振りの松

木曽義仲が弓を引こうとした際に邪魔になった松を巴御前が袖を振って横倒しにしましたが、また芽が出て何代目かの松と伝えられていましたが、マツクイムシにより立ち枯れしたため、平成21年に伐採されました。
現在植えられている松は富山県の「巴塚の松」として親しまれている樹齢750年の黒松の実生苗木を譲り受けて植樹されたものです。

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神明神社とかぶと観音

かぶと観音は棟札によると木曽義昌が下総国網戸(現千葉県旭市)へ移封される前年(1589年・天正17)に、その部将山村良候が大檀那となり建立されたようです。 堂内の各天井には木曽代官山村氏に仕えた池井祐川の絵がはめ込まれています。

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義仲腰掛石と「袖振りの松」の水舟

伐採された袖振り松の木で作られた大きな水舟です。手前の柵で囲われた平たい石が義仲腰掛石と言われるものです。
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木曽名所図会に描かれた「甲観音」

かぶと観音をでて100m余り進むと右手に「源臣光照院塚大明神」と彫られた大きな石碑があり、その先150mほどで「戦沢」へ至ります。

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源臣光照院塚大明神

いわれは全く不明ですが、どなたか亡くなった人を神として讃えているのでしょうか。

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戦沢

「中山道分間延絵図」では「千沢」となっています。沢を迂回するような道で、戦沢橋を渡ると上り坂となり石畳が続きます。

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戦沢の石畳

左手には近年建てられた石の道標があります。石畳も近年整備されたものだと思いますが、雰囲気のある素敵な道です。石畳を上るとすぐに「上久保一里塚」があります。
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上久保一里塚

東側の塚は削られていますが、西側の塚は残されています・・進行方向に対して右手が西塚になります。

一里塚からわずか50mの左手斜面に「良寛歌碑」があります。

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良寛歌碑と久保ケ洞の一軒家

『木曽路にてこの暮れの もの悲しきにわかくさの 妻呼びたてて子牝鹿鳴くも』

手まり上人と言われた良寛上人が木曽路に来た際に詠まれた二首の内の一首です。

良寛歌碑の少し先左手の石置屋根の小さな小屋は水車小屋、その前の家はかつて「くぼほら茶屋」という民宿だったといいますが、今は普通の住宅です。

その先S字カーブの緩い坂道を350m上ると突き当りに「へんび石道標」、右へ折れて50m左手少し奥に「蛇石」があります。

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へんび(蛇)石道標

中央に「中山道蛇石」 「左下り道 志ん道 右つまご宿」と彫られています。中世の中山道は、ここから沢沿いに上っていたそうです。1703年(元禄16)に道の付け替え工事が行われて、妻籠城総堀を通る現在の道となったとされます。そのため「志ん道(新道)」なのでしょう。「へんび(蛇)石道標」というのは恐らく少し先に「蛇石」という奇岩があったため「蛇石道標」なのでしょう。

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蛇石

蛇には見えないですね・・蛇抜け(土石流)で流れてきた岩だから「蛇石」なのでしょうか。
蛇石から200mほど、アスファルトの道から右手に外れて未舗装の旧道が残っています。未舗装の道を100mほど進むと右手に「しろやま茶屋」の建物があり、そのすぐ先に「妻籠城跡登り口」があります。

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しろやま茶屋跡

雰囲気のある旧道に馴染んだ建物ですが、現在は営業していないようです。

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妻籠城跡登り口

妻籠城跡まで登る予定でしたが、あまりにも雨がひどくなってきたので止む無く断念・・・先を急ぎます。

妻籠城

いつ誰によって築かれたのか明らかではありませんが、室町中期には築城されていたと考えられています。1584年(天正12)の小牧・長久手の戦いの折り、ここも戦場となり木曽義昌の家臣、山村甚兵衛良勝が籠り、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けています。

1600年(慶長5)関ケ原の合戦では妻籠城を修理して防衛しています。上田で真田親子攻略に時間を取られた徳川秀忠軍は直ちに小諸を出発しますが、時遅く既に東軍勝利となりました。秀忠は下諏訪を経て木曽へ入り妻籠城で陣し、ここで勝報を聞いたとされます。(下り谷一里塚という説もあります)

妻籠城は大坂の陣の後に取り壊されたそうです。また、「妻籠城の碑」は島崎藤村の兄、島崎広助が建立したものです。

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中山道は未舗装からコンクリートの舗装になりますが、周囲は林です。妻籠城跡登り口から坂を下り、また緩やかに上り600mで妻籠宿の集落へ入ってきました。今日宿泊する「大吉」がみえてきました。

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大吉

13:30 妻籠宿へ到着しましたが、まだチェックインまで時間があるのでもう少し宿内へ入り、水車小屋の少し先の無料休憩所で雨宿りしていました。もう全身ずぶ濡れです。気温も下がってきましたし・・風邪ひきそう・・・

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やまぎり食堂のくず餅

無料休憩所隣のやまぎり食堂でくず餅(550円)を購入して一休み。ちょっと高いですが美味しかった!

14:00になり、大吉さんへ電話すると早めにチェックインしても良いとのことで宿へ戻りました。有り難い!!
雨のため全体的にスピーディーに進み、妻籠城に上れなかったのが悔やまれます。せっかくの木曽路、もっとのんびり楽しんで旅をしたいです。明日は晴れてほしいです。