2022年6月4日
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12:20 勝沼宿をあとに栗原宿へ向かいます。勝沼小学校から400mほど進むと左手に「護念寺」があります。
峡中八珍果
柿、くるみ、栗、ザクロ、梨、葡萄、桃、りんごを指します。甲州では峡中八珍果と呼ばれた果実類が収穫されてきましたが、中でも甲州ぶどうの一大生産地でした。その多くは江戸神田の水菓子問屋に運ばれていました。諏訪神社
創建年は不詳です。 「甲斐名勝志」によると、延喜式の笠屋神社と伝えられていると書かれていますが、比定されている神社はかなりあり、よくわかりません。境内には大欅、御前水碑、天神、稲荷、石尊などの境内社が多く祀られています。アオサギの巣
諏訪神社裏の高い杉の木の上にアオサギの巣がありました。これはヒナですがかなり大きく育ち、親と変わらない感じでした。もうすぐ巣立ちでしょうか。元気に育ってほしいな~圓成寺
光源寺と慶専寺
「専立寺」は境内の撮影禁止と看板がでていました。報恩寺と西教寺
13:35 甲州街道へ戻り、ちょっと早いですがバスの本数があまりないので今日はここまで。西嶋石油スタンド前からバスに乗り、勝沼ぶどうの郷駅へ向かいます。2022年6月18日
塩山駅のコインパーキングに車を駐車し、中央線「勝沼ぶどうの郷駅」下車。駅前からタクシーにのり、万福寺まで送ってもらいました。2,000円もかからなかったでしょうか。 7:40 万福寺からスタートします。万福寺
浄土真宗西本願寺派、「杉の御坊」とも言われ、604年(推古天皇12)聖徳太子の命により創建されたとも、巨摩郡にあった天眼寺を移したとも伝えられ、法相、天台、真言の道場でしたが、1228年(安貞2)親鸞の教えに従い、1244年(寛元2)浄土真宗となり、1321年(元享元)には十二坊が造立されるほどの大寺でした。 1646年(正保3)内紛により十二坊のうち9か寺が独立し、東へ寺町(等々力寺町)を形成しました。1749年(寛延2)の火事で殆どの堂宇を失いましたが、文化年間(1804~18)に復興を遂げました。江戸末期に三院が廃寺となり再び寺運が衰えたとされます。延命地蔵尊
甲州道中分間延絵図には「地蔵堂」と記されています。横にある常夜灯は1800年(寛政12)の銘があります。常夜灯と道祖神
白山建岡神社
創建は不詳ですが、社伝によると599年(推古天皇7)と伝わります。 拝殿の奥には大きな藤棚があり、その奥に丸型の大きな道祖神もありました。大法寺
創建については1573年(天正元)あるいは1492年(明応元)とされます。栗原氏館は大翁寺を中心とした場所にありましたが、大法寺も含まれていたようです。妙善寺
もと真言宗でしたが、1455年(康正元)栗原出羽守信明が中興開基となり、竹岩和尚を開山として曹洞宗へ改めたとされます。 本堂前左手に妙善寺殿の墓があります。大戸屋グループ創業者 三森久実生誕の地
大戸屋グループ創業者の三森久実生は1957年(昭和32)この地に生まれ、1979年(昭和54)に大戸屋食堂を継承、現在の大戸屋HDに成長させた方で、2015年(平成27)に亡くなっています。諸国道中金草鞋「栗原宿」
『渋皮のむかし女もみゆるなり うまきさかりの栗原のちゃ屋』
『馬つらのやうな女を追い廻す 御牧の名ある栗原の宿』
という2つの狂歌が記されています。 ちょうど三森久実氏生家のあたりに高札があったと思われます。左手には「天神社」が祀られています。弁財天
弁財天前が栗原氏館の堀だったようです。大翁寺
大翁寺は1631年(寛永8)栗原信盛死去後に創建されたといいます。この地域で勢力を誇った栗原氏の広大な館は、この寺の境内を中心に建っていたとされます。 大翁寺には恐ろしい、栗原左衛門尉信盛が娘と若い美男子を生き埋めにしたという「裸の亡霊」という伝説がありますが、あまりにもおぞましいので省略します。栗原氏館跡
栗原氏館は大翁寺境内を中心とした地域であり、近接する海島寺、妙善寺、大法寺の境内を含む広大なものでした。 栗原氏は清和源氏武田氏から分流した親族で、武田の祖、信義から7代後の孫、甲斐守護職武田刑部大輔信成の子で、武田十郎武続が東郡栗原郷を領して「栗原」を称したことから始まっています。 戦国時代になると武田信虎が甲斐統一を果たそうとした際、反発した栗原信友等は大井・逸見(今井)氏と共に蜂起し激しく抵抗しますが、次々に鎮圧され、以降は武田氏に臣従しました。万福寺
境内の大銀杏は天然記念物です。甲州街道分間延絵図に記載がないので、割と新しいお寺なのでしょうか。大宮五所大神の随神門
大宮五所大神
創建は不詳ですが、807年(大同2)に神殿を再建したとの言い伝えがあります。境内の松は山梨県指定天然記念物、拝殿の絵馬7点は山梨市の文化財に指定されています。甲州道中分間延絵図「栗原宿」
幕領。1804年(文化元)の記録では128戸、本陣1軒、脇本陣1軒、本陣に隣接して問屋場1軒、旅籠20軒がありました。現在は往時の町並みの面影はなく、はっきりした場所はわかりませんが、甲州道中分間延絵図と比較すると、ぶどう棚のある松本園さんあたりが脇本陣、その向かいが本陣あたりではないでしょうか。また、栗原宿では毎月四・九の六斎市が立っていました。 8:50 大宮五所大神をあとに甲州街道へ戻ります。国道から旧道へ入ったところで合流し、すぐ先が西の枡形になっており、枡形を曲がると再び国道へ合流します。栗原宿をあとに石和宿を目指します。