2023年10月21日
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13:50 犬目宿をあとに鳥沢宿へ向かいます。
宝勝寺から200mほど進むと右手に
白馬不動尊の標石があります。200mほど山道を上っていくと
白馬不動尊や白滝があります。
白馬不動尊標石
不動院への入口にあり、1803年(享和3)建立と台座に記されています。また「江戸中橋願主」と刻まれています。
白馬不動尊の鳥居
「甲州道中分間延絵図」にはこの場所に「従是白滝不動江出ル 道法五丁程」と記されています。
白馬不動尊
737年(天平9)諸国にはしかが流行した際に天皇が神の啓示を仰いだところ、「犬目の里の白馬不動尊を祈願せよ」とのことであったため、名僧・行基をつかわせました。行基が滝に打たれ祈願した満願の21日目に白馬不動尊が示現、諸国の病が平癒したとされます。
さらに200mほど進むと右手から未舗装の旧道へ入っていきます。
草が結構生えていますが、歩くことはできました。
千貫松
「峡中紀行」を記した儒臣、
萩尾徂徠が甲州藩主、柳沢吉保の命を受けて甲斐に向かったのは1706年(宝永3)でした。萩尾徂徠が犬目宿を過ぎ、
犬目峠へ至る往還の南に大きな松の枝が道に長く伸び茂っていました。「長さ数丈、千年外の物」と記されます。
土地の人によると『昔、ある貴人が千貫文の銭でこの松を運ぼうとしたが果たせなかったため「千貫松」と名付けた』とされますが、その松も枯れて現在どのあたりにあったのかもわかりません。
旧道の未舗装部分から舗装道路へでた右手が、かつて
信玄の隠し湯とも言われた
「君恋温泉」があった民家です。その左手に小さな
馬頭観音がありました。
馬頭観音
藤川宿から鳥沢宿までの間では、このあたりが一番標高の高い場所と思われます。このあたりはおおよそ標高560mくらいで、鶴川宿から354m上ってきました。あとはほぼ下っていくのみでホッとします。
歌川広重「甲斐犬目峠」
このあたりが「犬目峠」でしょうか。描かれているような川が全く無いので、どのあたりが描かれているのか、「犬目峠」がどこなのか・・わかりません。
君ケ坂
「君ケ坂」は「甲州道中宿村大概帳」に登場する「君皃(貌)坂」と同一と考えられています。
直進しつつ下るのが「君ケ坂」と呼ばれた旧道だと思われますが、あまりにも草ボーボーで行ける気がしません。左へカーブし舗装された道で県道へでます。
県道を160m進むとカーブのあたりに
白滝山不動明王の石碑があり、次のカーブには
「恋塚一里塚」があります。
白滝山不動明王標石
1798年(寛政10)と記されています。
恋塚一里塚
北側はなくなっていますが、南塚はよく残っています。木立は松でしたが、今はありません。山梨県で唯一残っている一里塚です。2006年(平成18)には大雨で西側斜面が崩れてしまったそうですが、復旧工事がされています。
恋塚一里塚から200mほど進むと左手に
「聖徳太子塔」があり、ここからは右手の細道が甲州街道です。分かれ道の右手に
「山住神社」があります。
聖徳太子塔
「恋塚」という地名は、日本武命が東国征伐の途次、海神の生贄となった弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲び思いを巡らせたことによるとされます。
山住神社(山住明神)
恋塚集落は、街道の開通後に現佐地より500〜600mほど下の集落が移ってきたものとされています。
恋塚集落 馬宿
恋塚集落の一番西側にあり、屋号は「西」の大場家です。農業の傍ら馬宿を営んでいたそうです。大工・大森三左衛により1757年(宝暦7)に建てられた家屋が残されています。
石畳
恋塚集落の西側、県道へおりるあたりに江戸時代のものと考えられる石畳が60mほど残っています。
馬頭観音
石畳をくだり県道との合流したところに「馬頭観音」があります。
県道を30mほどで大月市へ入っていきます。
県道を500mほど進むと右手から旧道へ入ります。旧道へ入り100mほど右手に
「題目碑」があります。
題目碑
大きな題目碑の他、石祠などもありました。
3軒ほどの住宅をすぎ、県道へ出る手前に文字馬頭観音があります。
文字馬頭観音
近年設置されたようです。
文字馬頭観音のさらに奥に数基の石仏と小さな祠があります。
山神
「甲州道中分間延絵図」に記載のある山神と往時からあったと思われる石仏だと思われます。
甲州道中分間延絵図
公民館のあたりが
「山谷立場」だったようです。景色がよくてゆっくり休めそうですね。
公民館の奥には
「天神之宮」が現在も残されています。
天神之宮
大木の下に小さな祠が祀られています。地元の人は「天神さん」と呼んでいるそうです。
天神之宮の前を通り、この奥が甲州街道でした。行けそうな気もしますが、下の道へ繋がっていないと思われるため、戻って県道を下っていきます。
県道のS字カーブのところにベンチが設置されています。少し山谷立場から離れますが、ここも景色がよくほっこり休ませてもらいました。
県道S字カーブを下り、200mほど下っていくと右手から旧道が残されています。
県道はカーブが多いですが、旧道はまっすぐに下っていきます。
スズメバチ
旧道から県道へ合流する手前で、なんと大きなスズメバチの巣が!!穴からぶ〜んとでてきます・・・このまま近くを通ったら刺されるので、仕方なく来た道を戻り、県道を使用して進みました。
トトロ〜
とてもかわいらしく造られていますね。
スズメバチの巣がなかったら、ここへでてきて県道へ合流します。
県道を240mほど下り、右手側から旧道へ入ります。
旧道の雰囲気が残っている未舗装の道を下っていきます。再び県道へ合流し70m左手に小さな石仏があります。
石仏
さらに90mほどで直角に左へ曲がりますが、丁字路右手に石仏があります。
石仏群
道祖神や馬頭観音が祀られています。
真っ直ぐ下っていくと沢沿いの道となり、作業小屋の脇に
「寒念仏供養塔」がありました。
寒念仏供養塔
寒念仏とは、小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する一種の苦行で、これを記念して建立したものが寒念仏供養塔です。
100mほどで県道へ合流し、中道自動車道の下を通り200mほど左手に石仏群があります。
石仏群
甲州道中分間延絵図に描かれている「薬師堂」の跡でしょうか。
すぐに国道20号線へ合流し、枡形となっています。往時は枡形に高札がありました。下鳥沢宿場へ入り250mほど左が下鳥沢宿脇本陣跡、その向かいが鳥沢宿本陣跡になります。
下鳥沢宿
鳥沢宿は下鳥沢宿と上鳥沢宿が15日交代で継立を行う合宿でした。
甲州道中分間延絵図「下鳥沢宿」
1843年(天保14)の記録によると本陣1軒、脇本陣2軒 、旅籠11軒がありましたが、現在はっきりとどの位置にあったのかはよくわかりません。
宿の通りから右手へ100mほど入ると
「福地八幡神社」があります。
福地八幡神社
創建は889年(寛平年間)といわれ、当初は扇ケ峰に鎮座し
「扇社」と称していたとされます。1035年(長元7)現在地へ遷座し「福地八幡社」と改めました。神剣には1549年(天文17)の名があり、1719年(享保3)には神階正一位を贈られ、
「大木大明神」となりますが、明治維新後に再び「福地八幡神社」に戻されました。
「甲州道中分間延絵図」には「大木大明神」と記されています。
福地天神
菅原道真を祀る学問の神様です。創建は明らかではありませんが、1672年(寛文12)には既にこの地に鎮座していたとされます。
甲州街道へ戻り130mほど進むと右手に大きな樹木があり、さらに150mほど進むと民家前に小さな一里塚の木柱がありました。すぐ先は鳥沢駅です。
天然記念物「コノテガシワ」
大月市の天然記念物として指定されているコノテガシワの大木です。
上鳥沢一里塚跡
木立は榎だったそうですが、現在は跡形もありません。南塚には道祖神がありましたが、これも現在はありません。
16:30 鳥沢駅到着。
朝ごはんもコンビニのおにぎりで、昼食もとらずに鶴川宿から歩き通しました。お腹がペコペコです。駅前に創業100年の
「浜田屋食堂」があり、ここで
『仙人の愛した天丼』を食べました。昔、高畑山に住んでいたといわれる『仙人』も絶賛したといわれる天丼です。