2021年10月2日
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13:50 猿橋宿をあとに駒橋宿へ向かって進んでいきます。少し進むと左手に大きな文字馬頭観音があります。
円行寺
甲州道中分間延絵図には円行寺ではなく、十王堂が描かれています。円行寺が移転してきたのか・・詳しいことは不明です。猿橋の手前の石仏群に「殿上円行寺」と彫られた髭題目碑がありましたね。三嶋神社
昔、大松山に大木の古松があり、これを3段に切り神像三体を造りました。 上段で造った像を田野倉村の三島明神に祀ったので「先ノ宮」と呼び、中段を大月・駒橋の間の三島明神に祀り「中ノ宮」とし、末段を殿上村の三島明神に祀り「下ノ宮」といい、三社ともに大松山と称するようになったとされます。 こちらの三嶋神社の御神体は末段のものと思われます。また、江戸時代、三嶋神社前には高札場がありました。 三嶋神社の先の左手、道路がカーブしている空地にぽつんとある庚申塔が十返舎一九「諸国道中金之草履」の挿絵に描かれている庚申塔と言われています。その向かいには阿弥陀寺があり、入口右手に殿上(猿橋)一里塚があったようです。往時の木立は桃だったとされます。十返舎一九「諸国道中金之草履」 駒橋
阿弥陀寺
入口には六字名号碑があり、「弾誓上人御旧跡」と刻まれています。 1596年(慶長元)の創建で開山は弾誓上人です。弾誓上人は相州から甲州へ諸国を教化して旅をしていた際にこの地にあった小庵にとどまり、盛んに念仏を勧めたところ私財をなげうって帰依する者が多く、六字の名号を自署して本尊としたとされます。石仏群
小さな商店の左右に石仏が何基かありますが、だいぶ傷んでいて元々が何であったかわかりませんが、左手にあるものは庚申塔で、1861年(万延2)のものだそうです。 石仏から100mほど進み、甲州街道から外れて右手の脇道へ入り緩い坂道を50mほど下ると右手に東京電力駒橋発電所の建物があり、大きな石碑と解説板があります。駒橋発電所の送水管
送水管横の細い坂道を登っていきます。結構な急坂ですね。この送水管の東側に閻魔堂が移された光照寺がありましたが、恐らく発電所の工事により大月駅近くへ移転したものと思います。 さらに細い踏切を越えると一旦、国道20号へ合流します。すぐに右手の細い道へ入りますが、「関場の石仏群」を見るために国道20号を30mほど戻ります。厄王大権現
開基は平安時代、当時隆盛を極めた山岳信仰の一つとして開山され、全国修験道霊山の開祖として有名な役の行者小角の開祖とされます。境内には、天王祇園神社、石像釈迦牟尼如来立像、平和祈願之石があります。南へ1kmほど山中を登ったところに厄王山奥の院があります。