どこでどう間違えた!?スマホがない時代の街道歩きは間違えだらけ

2002年05月03日

「ツール」⇒「作図・ファイル」⇒「アイコンのラベル表示」にチェックを入れると名称が表示されます。 KMLファイルに変換することでgoogle mapへのインポートもできます。
17:00 神奈川宿から保土ヶ谷宿へ向けて出発します。

迷子になった話

坂を下り、やがて浅間下交差点。三ツ沢方面へ上る道路で遮られます。そこから5分くらい歩くとなんとなく道が違うな〜と思ったもののそのまま直進・・そして、とうとうわけがわからないところへきてしまいました。

山の上、細い路地・・人通りもなく・・浅間下に戻るとしてもかなりきてしまいました。現在ならスマホで地図も確認できるのですが、2002年はガラケー。どーしよー、と焦っていると、犬と散歩中のおばさんに出会いました。天王町の駅までの道を聞くと、「知ってるけど、難しいから途中まで一緒に行ってあげる」と。こんな所でこんなにも優しい人と出会えるなんて、感激です。

確かに、右、左、右・・とくねくね・・かなりの急勾配の坂道・・おばさんと言ってもゆうに60歳は超えているでしょう。心配になり、「こんな急坂、大丈夫ですか?」と尋ねると、「毎日この道歩いているから大丈夫」と、笑顔。

ようやくバス通りにでて、あとはこのまま下りていけば大丈夫と聞いておばさんとお別れしました。この回り道で相当足が疲れたましたけど、おばさんに優しさパワーを貰い、元気が出ました。

おばさん、ありがとう!!感謝!!

橘樹神社

1186年(文治2)の創建。京都八坂神社の分霊を勧請しました。元々は「牛頭天王社」といい、「天王町」の由来となります。

帷子橋

1956年(昭和31)、帷子川の流れを天王町駅南から北側に付け替えられたため、橋の位置が変わってしまいました。

旧帷子橋跡

広重「東海道五十三次 保土ヶ谷」に描かれた帷子川に架けられた「新橋」があった場所です。

天王町駅前公園

かつての帷子川に架かる「新橋」を公園内に再現しています。厳密には少しずれてはいるのですが、素敵な演出だと思います。

軽部(苅部)家本陣跡

保土ヶ谷宿の本陣は1軒、脇本陣3軒、茶屋本陣1軒。旅籠75軒。建物は変わっていますが、今でも軽部家がお住まいのようです。江戸を旅立ったほとんどの人は戸塚宿まで行ってしまい、保土ヶ谷は休憩にしか利用されなかったそうです。その割には旅籠が多いですね。
18:30 保土ヶ谷宿着。すっかり暗いです。

本日は、日本橋から32.2km歩きました。うろうろしたからもっと歩いているとは思います。ハマッコなのに道に迷うなんて・・困ったものです。でも、人の親切が本当に身にしみました。