2017年05月21日
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KMLファイルに変換することでgoogle mapへのインポートもできます。
14:00 引き続き庄野宿を目指して進みます。
ここからは田んぼがあったり、昔ながらの景色が見られます。白鷺がいたり、とってもいい雰囲気でした。
・・と思ったのも束の間で、途中から国道一号へ。次の旧道まで結構長い道のりでした。
庄野宿入口
この先が庄野宿ですが、庄野宿まで行ってしまうと駅がありません。もう少し時間はありますが、今日はここで撤退します。
庄野町西交差点
すごい工場があります。コンクリート製の電信柱を造っているみたいでした。
関西本線「加佐登駅」から名古屋方面へ戻り新幹線へ乗ることにします。
14:45 加佐登駅到着!!
次回は、この駅から出発です。
2018年04月28日
6:18 新幹線で名古屋へ。名古屋からは「みえ51号」、桑名乗り換えでJR関西本線。無人駅のため、運賃の精算はJR関西本線に乗ってから
最後尾に乗っている車掌さんに直接お支払いするようですね。
8:49 加佐登駅到着!!
本日はここからスタートです。よくよく考えてみると1年ぶりになってしまいました。
ここからが庄野宿
庄野の白雨
庄野宿といえば有名な歌川広重の傑作と言われるひとつ、「庄野の白雨」です。夏の激しい夕立と旅人たちの様子が見事に描写されています。
善照寺
立派な山門と立派な本堂が見えます。
庄野宿資料館
油問屋を営んでいた小林家の屋敷を改修して平成10年に開館しました。今日はまだ時間が早くて、開いていませんでした。トイレもあります。
問屋場跡
荷物の引継ぎ、宿場の雑事をもろもろ行っていた所ですね。
庄野宿本陣跡
庄野宿の本陣は1軒のみ。脇本陣も1軒、旅籠は15軒でした。こじんまりした農村的宿場だったようです。
里程標
「距津市元標九里拾九町」と刻まれています。明治時代に道路原標を定め、各市町村ごとに「里程標」を立てて道路の正しい状況を把握するための措置として設置されたものです。新しいものに見えますが、復元でしょうか・・津市までの距離が9里19町、1里が約4km、1町が約110m、つまり38kmくらいでしょうか。
高札場跡
庄野宿資料館には、実物5枚が展示されているそうです。
町並みが古くて歩いていて楽しいです!
郷会所跡
助郷の割り当てを受けている各村の代表者(庄屋または肝煎)が集会する場所です。助郷、人馬の割り当ては村にとってはかなりの負担で減免陳情の集会が多く行われたそうです。今まで歩いてきた宿場も同じような問題がありましたね・・自分たちが食べていくのが大変なのだから・・肝煎(肝入り)は、お偉いさんの意向で物事を決めたりすることという意味で使っていますが、江戸時代は「庄屋」や「名主」などと同じ意味だったようです。
川俣神社
鈴鹿川は庄野で二分し、伊勢湾に流れ込み、その二分された川俣の地に祀ったことによるものだそうですが、『三国地志』によると当初は貴船神社とされ、ほかに鈴鹿川周辺に5か所の貴船神社があったそうです。村とともにこの貴船神社を移転したとも伝えられているそうです。川東の門田にありましたが、1703年(元禄16年)、現在の川西の古屋敷に移されました。1907年(明治40)、ここを含む庄野村の7社、汲川原村の3社を庄野村大国神社へ合祀し、川俣神社に改称されました。
川俣神社のスダジイ
高さ11m、幹周約5m、樹齢 推定300年。よく「シイノキ」などとも言いますね。小さなドングリがいっぱいなります。
庄野宿は古い町並みが少し残っていましたし、車や人が少なくて静かで心地よい宿場でした。
9:30 庄野宿をあとに、亀山宿へ向かって歩いていきます。