2018年04月29日
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8:00すぎ カンデオホテルから関タクシーさんへ迎車をお願いしました。
昨日のゴール、「関地蔵院」までタクシーで向かいます。1,000円くらいでした。
8:35 関地蔵院からスタートです。
会津屋(旧 旅籠山田屋)
関宿を代表する旅籠の一つだった会津屋。関宿に入る手前で見た「小万のもたれ松」の「関の小万の物語」の舞台です。現在は、おこわやさんです。美味しそう・・朝ご飯、たっぷり食べてしまいましたし、まだお店も開いてないですね。
観音院
820年開祖とされ、もとは関西山福聚寺といい、弘法大師が彫った観音菩薩を本尊として創建され、新所の南側にあったとされます。豪族関氏の祈願寺とされます。兵火で焼失し、1665年(寛文)に現在地に移り、再興され寺号も関西山観音院と改められました。後に観音山に西国三十三ケ所の霊場を開きました。
道標 観音山公園道
鈴鹿国定公園内にある「観音山公園」への道標でしょう。観音山公園が整備されてからの新しい道標でしょう。観音山公園は、フィールドアスレチックやテニスコートなどが整備されている森林公園ですが、眺望は絶景で、園内には西国三十三ケ所の霊場をもち、三十三体の観音石仏が安置されています。今回は行けませんが、また機会があれば行ってみたい場所ですね。
西の追分 休憩所
無料でお座敷で休めますが、飲み物などの販売はないです。
休憩所隣には、立派なトイレもあります。
関宿 西の追分
奈良方面へ向かう大和街道との分岐点です。大和街道は加太越しをして、伊賀から奈良へ至ります。
道標・題目塔
お題目と共に、「ひだり いが やまとみち」とあります。これも亀山で見た谷口一族が残したものなのでしようか。
国道から旧道へ入ると素敵な景色が広がります。右側の山が「筆捨山」でしょうか。昔、画家の狩野元信が旅の途中で山を描こうとしたところ、山の景色が刻々と変わってしまうため、描くことを諦め、筆を投げ捨てたことから名がついたとされます。もっと岩肌の露出した山のようですが、ほとんど緑で覆われてしまっているようです。
鈴鹿川の川幅がだんだんと細くなってきました。鈴鹿川は、古くは「催馬楽」、「万葉集」にも詠まれ、多くの歌人に取り上げられています。河が浅く、幾重にも蛇行する様子から「八十八瀬」という枕詞にもなっています。
坂下一ノ瀬一里塚跡
別の資料には「弁天一里塚跡」ともありました。なかなか見つからなくて困りましたが、道路左手にありました。右手ばかり見ていたのがいけなかったようです。関宿からの場合は、左手を気にしましょう。
旧道に入っていきます。まだほとんど平坦な道です。今のところ、峠にさしかかっているとは思えないです。
坂下まではバスがあります。
でも本数が極端に少ないです。日に4本ですかね。
沓掛(くつかけ)に入ってきました。
沓掛公民館前のベンチでちょっと休憩させていただきました。
天文台
鈴鹿峠自然の家に併設されているようです。無料開放日もあるみたいですが抽選のようですね。天体観測してみたいですね。
鈴鹿峠自然の家は、1938年(昭和13)に坂下尋常小学校として開校しましたが、昭和54年に廃校となり、現在は青少年の研修施設です。建物は当時のまま残されているそうで、国の重要文化財になっています。
馬子唄会館
平成7年にオープンしました。鈴鹿馬子唄や鈴鹿峠の歴史や坂下宿についての資料を展示してあるそうです。無料です。
少しづつ上り坂にはなっていますが、ゆる〜い坂道です。
10:30 坂下宿到着!
坂下宿は少なくとも室町時代から宿として機能していたと見られています。元々は片山神社下の谷間にあり、「古町」と呼ばれていましたが、1650年(慶安3年)の大洪水で宿が壊滅し、翌年に現在地へ移転し、復興されました。
松屋本陣跡
鈴鹿越えを控え、多くの大名・旅人で賑わった坂下宿。江戸時代後半には、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒の大きな宿場町でした。松屋本陣の門の一部が法安寺に残っています。
後ろの公園で休憩しました。
坂下バス停(終点)と集会所
坂下は、「坂下」「坂ノ下」「阪之下」など様々な記述があったようですが、江戸時代の公用においては、「坂下」が多く用いられていたようです。
大竹屋本陣跡
大竹屋は、間口十三間半(24m)、奥行二十五間(45m)もの大きな屋敷で、鈴鹿馬子唄にも『坂下では大竹小竹、宿がとりたや小竹屋に』と唄われる大店でした。庭にあった「不断桜」も有名で歌に詠まれています。
法安寺
坂下宿本陣松屋は、1882年(明治15)に建物の一部と門が学校の校舎の一部として(現在の鈴鹿峠自然の家)移築されました。1960年(昭和35)に法安寺庫裏の玄関として再移築されています。
梅屋本陣跡
小竹屋脇本陣跡
坂下宿は本陣3件、脇本陣1件、旅籠48件とかなり大きな宿場町でしたが、今はそのほとんどはお茶畑などの農地や空き地になっていて寂しい限りです。
しかし、山間の緑の多いのんびりした景色で気持ちいいところでした。
11:00 坂下をあとに、鈴鹿峠を目指します。