2025年11月22日

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14:00 新田宿をあとに小金井宿へ向かいます。 橿原神社から少し進むと左手から旧道へ入っていきます。左へ曲がり、すぐに右折するのが日光街道ですが、曲がらずにさらに20mほど先に馬頭観音などの石仏が並んでいます。

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馬頭観音道標・石仏群

「左おざく道」とあり、1800年(寛政12)の年紀があります。

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住宅が軒を並べる旧道を1.5kmほど進んだ交差点を右へまがり、小金井駅へ向かいます。
14:30 小金井駅到着。 車をピックアップし、本日宿泊する『ホテルルートイン結城』へ向かいます。

2025年11月23日

石橋駅裏のコインパーキングへ駐車し、JRに乗車して小金井駅で下車しました。

10:20 小金井駅出発。今日はお天気がどんよりしています。雨が降ってこなければいいけど。 駅前に蒸気機関車の動輪が展示してありました。

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蒸気機関車動輪

旧国分寺町では、1893年(明治26)小金井駅が開業、1966年(昭和41)小山電車区が開設しました。この動輪は鉄道開通とともに発展してきた旧国分寺町を象徴するモニュメントとして展示しているそうです。
小金井駅から西へ進み、国道4号を越えてさらに60m、日光街道へ至ると右へ曲がり、石橋宿へ向けて進んでいきます。住宅街の中を200mほど進むと一里塚が残されていますが、途中、畑で分断されてしまいますので、左へ曲がり迂回して「小金井一里塚」へ入っていきます。

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小金井一里塚

2つの塚の間を通っているのが日光街道です。「宿場大概帳」によると西側には杉の木、東側には松が植えられていたとされますが、1884年(明治17)には榎が植えられていたとされます。いつの頃からかクヌギの木が同居しています。

一里塚の間が日光街道ですが、現在は廃道となっていますので、国道を迂回して進んでいきます。500mほど先、右手の菅井製菓が「領主陣屋跡」だったとされる場所です。

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領主陣屋跡(橘屋跡)

小金井はもと壬生藩領で、1696年(元禄9)に天領となり、1763年(宝暦13)に佐倉藩領、1787年(天明7)に再び天領、1799年(寛政11)には再度佐倉藩領という変遷をたどり、以後は佐倉藩領として幕末を迎えたとされます。 日光道中分間延絵図には「領主陣屋」とあります。
すぐ先左手が「慈眼寺」、隣に「金井神社」があります。

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慈眼寺・徳川家昼食所

1196年(建久7)下野の豪族、新田義兼の開基により新田一族の祈願所として建立された古刹です。応永年間(1394~1427)醍醐寺の俊海僧正を迎え、中興第一世とし、これにより京都醍醐寺の直末寺院となり、末寺十数ケ寺を有した大寺となりました。

将軍の日光社参において、当初は小休所でしたが、享保年間(1716~1736)より昼食所となっていました。

明治初年の災害により、観音堂・鐘楼を残しほとんどが焼失しましたが、その後再建されました。

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千手観世音堂

慈眼寺の境内にあります。日光道中分間延絵図に描かれている「観音」と思われます。
領主陣屋の隣には「自性院」がありましたが、現在はありません。自性院は慈眼寺の末寺でしたが、火災により焼失しました。

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金井神社

本殿は江戸末期(1800年代)の製作と考えられ、磯部氏系統の彫刻師によるものであろうと推定されています。ケヤキが用いられており、素木造りの見事な彫刻が施されています。

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金井神社本殿

日光道中分間延絵図には「北辰社」として描かれています。
金井神社の前に小さな小金井宿公園があり、公園内に「俳諧の句碑」があります。

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俳諧の句碑

1807年(文化4)小金井宿蔵田屋(大越家)の屋敷内へ建てられたものです。句碑の一面には慈眼寺三十世住職である宜照による四季の発句と江戸談林俳諧の頂点にあった谷素外の発句の下に小金井宿の俳人12名の発句が刻まれています。 2003年(平成15)蔵田屋当主の大越氏によって説明の碑も建立されました。

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日光道中分間延絵図「小金井宿」

小金井宿

もとは金井村といい、現在地より西方に集落を形成していましたが、1604年(慶長9)に移転し、小金井村と称しました。家数165軒、人口767人、中町に本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒がありました。
小金井宿公園から100mほど先の左手が本陣跡、そのすぐ先右手に倒壊しそうな見世蔵があります。

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小金井宿本陣跡

大越家がつとめました。先ほど公園内にあった「俳諧の句碑」は、もとは大越本陣にあったようです。1889年(明治22)国分寺村が発足した際には村役場が置かれていました。

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見世蔵

見世蔵とは、土蔵造りの技術を応用した店舗兼住宅のことです。すでにボロボロで崩壊しそうです・・
さらに200mほど右手に「蓮行寺」があり、その先250mに「小金井薬師堂」があります。

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蓮行寺

1329年(元徳元)下野公日秀上人によって建立されました。一説には日行上人の創立でもあるといいます。もとは古屋敷にありましたが、いつごろからか現在地へ移転しました。1823年(文政6)焼失し、その後再建されましたが現在の建物は近年のものです。足利尊氏の古文書が所蔵されています。 将軍の日光社参の際には、宇都宮城主がこの寺で出迎えることになっていたそうです。

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小金井薬師堂

詳細は不明ですが、日光道中分間延絵図にも描かれています。

11:20 小金井宿をあとに石橋宿へと向かいます。