2022年6月4日

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12:20 勝沼宿をあとに栗原宿へ向かいます。勝沼小学校から400mほど進むと左手に「護念寺」があります。

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護念寺

1579年(天正7)創建、開山は品誉起全。当初は「法輪寺」と称しましたが、1591年(天正19)焼失、1613年(慶長18)再建されています。墓地には柏尾の戦いで戦死した木村伊助武則の墓があります。
護念寺のすぐ先交差点を越えた左手にあるのが、日本最古のぶどうと言われている「甲州ブドウ」の木です。

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甲州ブドウ

甲州ぶどうは勝沼で古くから栽培されてきた固有種で、明治以降は外来種と区別するため「日本ブドウ」と呼ばれていました。「甲龍」と呼ばれ、樹齢は120年ほどと言われる日本最古のブドウです。

峡中八珍果

柿、くるみ、栗、ザクロ、梨、葡萄、桃、りんごを指します。甲州では峡中八珍果と呼ばれた果実類が収穫されてきましたが、中でも甲州ぶどうの一大生産地でした。その多くは江戸神田の水菓子問屋に運ばれていました。

甲州ブドウの木から440mほど進んだ右手を入ると「諏訪神社」があります。

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諏訪神社

創建年は不詳です。 「甲斐名勝志」によると、延喜式の笠屋神社と伝えられていると書かれていますが、比定されている神社はかなりあり、よくわかりません。境内には大欅、御前水碑、天神、稲荷、石尊などの境内社が多く祀られています。

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諏訪神社の大欅

樹高30m、樹齢300年と推定される勝沼最大のけやきです。

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御前水碑

1880年(明治13)明治天皇山梨巡幸の際、この諏訪神社境内の二本杉の根元より湧出していた清水を御前水として使用したそうです。ここから西北に50mとのことですが、清水が出ていそうな場所は見つかりませんでした。
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アオサギの巣

諏訪神社裏の高い杉の木の上にアオサギの巣がありました。これはヒナですがかなり大きく育ち、親と変わらない感じでした。もうすぐ巣立ちでしょうか。元気に育ってほしいな〜

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甲州街道へ戻らずに、諏訪神社から西へ向かいぶどう畑の間の道を行きます。突き当りを右へ曲がると「圓成寺」、その奥に「仙光寺」、さらに西へ向かうと「光源寺」、右手に「慶専寺」、左手に「報恩寺」、「西教寺」とお寺が続きます。
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圓成寺

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等々力歴史道「寺町」

寺町には浄土真宗東本願寺派の9ケ寺が集まっています。

元は西の万福寺の九坊でしたが、1646年(正保3)万福寺に内紛があり、万福寺を離れて現在地へ寺町を形成し、東本願寺派へ転じました。
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光源寺と慶専寺

「専立寺」は境内の撮影禁止と看板がでていました。

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報恩寺と西教寺

13:35 甲州街道へ戻り、ちょっと早いですがバスの本数があまりないので今日はここまで。西嶋石油スタンド前からバスに乗り、勝沼ぶどうの郷駅へ向かいます。

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勝沼ぶどうの郷駅

車を駐車した塩山駅へ向かい、車をピックアップし「甲州市勝沼ぶどうの丘」へ向かいました。お目当ては「天空の湯」です。ゆっくり景色を楽しみながら温泉へ入り帰宅しました。

2022年6月18日

塩山駅のコインパーキングに車を駐車し、中央線「勝沼ぶどうの郷駅」下車。駅前からタクシーにのり、万福寺まで送ってもらいました。2,000円もかからなかったでしょうか。 7:40 万福寺からスタートします。

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万福寺

浄土真宗西本願寺派、「杉の御坊」とも言われ、604年(推古天皇12)聖徳太子の命により創建されたとも、巨摩郡にあった天眼寺を移したとも伝えられ、法相、天台、真言の道場でしたが、1228年(安貞2)親鸞の教えに従い、1244年(寛元2)浄土真宗となり、1321年(元享元)には十二坊が造立されるほどの大寺でした。

1646年(正保3)内紛により十二坊のうち9か寺が独立し、東へ寺町(等々力寺町)を形成しました。1749年(寛延2)の火事で殆どの堂宇を失いましたが、文化年間(1804〜18)に復興を遂げました。江戸末期に三院が廃寺となり再び寺運が衰えたとされます。

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ムクノキ

山梨の名木百選に選ばれています。

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馬蹄石

聖徳太子が甲斐の黒駒に乗って富士山や駒ケ岳に登り、その帰りにこの石の上に立つと蹄の跡が残ったと言われ、4つの馬蹄形の跡が見られます。

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芭蕉句碑

『行駒の麦に慰むやどりかな 芭蕉』

万福寺住職、三車上人が中心となり寛政年間(1789年〜1801年)建立されました。 落成の発句は甲州を代表する歌人、五味可都里「駒づかや世にとどろきの影高し」の句を残しています。

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玄正寺

万福寺の門前にあるのが「玄正寺」です。甲州道中分間延絵図にも描かれています。寛永年間(1624〜1644)の建立、正安法師開基、現在の鉄筋コンクリート造の本堂は1980年(昭和55)の建築です。
TOO001 ぶどう棚を見ながら甲州街道へ向かいます。万福寺から最初の辻に道標がありました。

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道標

「従是瘡莓V道」とあり、万福寺への道標です。
さらに直進し、甲州街道へ合流かる角に「延命地蔵尊」があり、すぐ西側に「杉之御坊」入口の大きな石碑がありました。

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延命地蔵尊

甲州道中分間延絵図には「地蔵堂」と記されています。横にある常夜灯は1800年(寛政12)の銘があります。

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常夜灯と道祖神

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杉之御坊の石碑

万福寺の入口道標です。「杉之御坊」というのは、親鸞が食事に用いた杉の箸を地に刺し、自分の説く法が来世に流布すればこれに枝葉が生ずるであろうと請願したところ、杉の箸に青葉が芽生え数年後には高木となったという故事にちなんだものとされます。

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350mほど進むと甲州市から山梨市へ入ります。さらに350mほど右手に「白山建岡神社」があります。
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白山建岡神社

創建は不詳ですが、社伝によると599年(推古天皇7)と伝わります。

拝殿の奥には大きな藤棚があり、その奥に丸型の大きな道祖神もありました。

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白山神社の藤と庭園

立派な藤は山梨県の天然記念物に指定されています。藤棚下の庭園が造られたのは1933年(昭和8)です。

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道祖神

1860年(万延元)の銘があります。
国道を500mほど進むと右手に「大法寺」があり、大法寺を過ぎてすぐの路地を入っていきます。右手にお地蔵様が祀られています。その先突き当りが「妙善寺」です。

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大法寺

創建については1573年(天正元)あるいは1492年(明応元)とされます。栗原氏館は大翁寺を中心とした場所にありましたが、大法寺も含まれていたようです。

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地蔵

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妙善寺

もと真言宗でしたが、1455年(康正元)栗原出羽守信明が中興開基となり、竹岩和尚を開山として曹洞宗へ改めたとされます。

本堂前左手に妙善寺殿の墓があります。

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開祖妙善寺殿墓

台座に「祖先在信明墓覆式加之台以記其功徳 慶応三丁卯七日」、「当山開山妙善寺殿者新羅三郎義光十一代武田刑部大輔信成四男」と刻まれています。「妙善寺殿」とは武田信成の子である栗原氏を指していると思われます。
妙善寺をあとに甲州街道へ戻ると栗原宿内へ入っていきます。妙善寺の先は枡形になっていましたが、今は直線道路に直されています。すぐ先交差点左手には「大戸屋グループ創業者 三森久実生誕の地」という看板があります。

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大戸屋グループ創業者 三森久実生誕の地

大戸屋グループ創業者の三森久実生は1957年(昭和32)この地に生まれ、1979年(昭和54)に大戸屋食堂を継承、現在の大戸屋HDに成長させた方で、2015年(平成27)に亡くなっています。

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諸国道中金草鞋「栗原宿」

『渋皮のむかし女もみゆるなり うまきさかりの栗原のちゃ屋』

『馬つらのやうな女を追い廻す 御牧の名ある栗原の宿』

という2つの狂歌が記されています。

ちょうど三森久実氏生家のあたりに高札があったと思われます。左手には「天神社」が祀られています。

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天神社

甲州道中分間延絵図の「天神観音」と記されている場所と思われます。常夜灯は1765(明和2)、1752年(宝暦2)などの銘があります。
天神社の辻を奥へ入っていくと右手に弁財天が祀られており、そのすぐ先に大翁寺があります。

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弁財天

弁財天前が栗原氏館の堀だったようです。

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大翁寺

大翁寺は1631年(寛永8)栗原信盛死去後に創建されたといいます。この地域で勢力を誇った栗原氏の広大な館は、この寺の境内を中心に建っていたとされます。

栗原氏館跡

栗原氏館は大翁寺境内を中心とした地域であり、近接する海島寺、妙善寺、大法寺の境内を含む広大なものでした。 栗原氏は清和源氏武田氏から分流した親族で、武田の祖、信義から7代後の孫、甲斐守護職武田刑部大輔信成の子で、武田十郎武続が東郡栗原郷を領して「栗原」を称したことから始まっています。 戦国時代になると武田信虎が甲斐統一を果たそうとした際、反発した栗原信友等は大井・逸見(今井)氏と共に蜂起し激しく抵抗しますが、次々に鎮圧され、以降は武田氏に臣従しました。

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大翁寺をあとに10mほど戻り右手の路地へ入っていき、すぐ右手にあるのが「万福寺」です。そのまま直進し突き当りにあるのが「大宮五所大神」です。
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万福寺

境内の大銀杏は天然記念物です。甲州街道分間延絵図に記載がないので、割と新しいお寺なのでしょうか。

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山姥橋

大宮五所大神の境内に置いてありました。この大きな石は旧石橋川に渡してあった橋で、側面に人の手の跡があるといいます。伝説によると山姥が石森山を手にして運んできた際、このあたりで一片が破損し、ここへ棄てていったものだとされます。
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大宮五所大神の随神門

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大宮五所大神

創建は不詳ですが、807年(大同2)に神殿を再建したとの言い伝えがあります。境内の松は山梨県指定天然記念物、拝殿の絵馬7点は山梨市の文化財に指定されています。

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甲州道中分間延絵図「栗原宿」

幕領。1804年(文化元)の記録では128戸、本陣1軒、脇本陣1軒、本陣に隣接して問屋場1軒、旅籠20軒がありました。現在は往時の町並みの面影はなく、はっきりした場所はわかりませんが、甲州道中分間延絵図と比較すると、ぶどう棚のある松本園さんあたりが脇本陣、その向かいが本陣あたりではないでしょうか。また、栗原宿では毎月四・九の六斎市が立っていました。

8:50 大宮五所大神をあとに甲州街道へ戻ります。国道から旧道へ入ったところで合流し、すぐ先が西の枡形になっており、枡形を曲がると再び国道へ合流します。栗原宿をあとに石和宿を目指します。