栄区長倉、鼬川沿いにある「昇龍橋の湧水」です。
環状4号線、栄区長倉の「八軒谷戸」交差点、庄戸地区へ上がる橋とセブンイレブンのとの間の細道を下りていくと鼬川へ出られます。川沿いを右へ曲がると昇龍橋(しょうりゅうきょう)があります。環状4号から少し入っただけですが、景色は一変し、ここは本当に横浜なのかな・・と思うような自然豊かな景色となります。
※座標は、グーグルマップ、地理院地図、共通です。
ECも高く、後の分析ではマグネシウムとカルシウムを大量に含んでいました。更に一番多く検出したのは硫酸イオンでした。この湧水の涵養域と考えられる円海山周辺は、上総層群小柴層が存在しています。ある論文によると、『東京湾に近い東部では特徴のある貝化石群を含み、火山性の物質に富む砂礫岩層』と記載があります。特徴のある貝化石群とは、メタン冷湧水を栄養源とした貝化石群だと思われます。栄区の上郷付近からはこれらの貝化石が石灰岩となって発見されている場所もあります。硫酸イオンは火山地区の河川水などに多量に含まれるといいますから、円海山周辺の小柴層の地質が影響していると考えられます。
昇龍橋
上郷(旧上野)の村社「白山社」の旧社殿の参道にかかる石橋で、橋の本体は鎌倉市今泉から産出する通称「鎌倉石」、または「今泉石」という水成岩です。構造はアーチ状の眼鏡橋で欄干は「御影石」。本体とは材質が異なっており、「昇龍橋」の名と「大正四年九月吉日」の年記がありますが、建造年代は定かではないといいます。 1875年(明治8)、太政大臣三条実美の名で各府県に村誌郡誌を調査して差し出させる公達があり、明治12年頃に編成されたと思われる「皇国地誌(こうこくちし)」には村の河川や橋梁の記録がありますが、上野村の条に昇龍橋の名は見られないそうです。この昇龍橋と全く構造が同じ旧庄戸堀にかけられて現存する「經堂橋(きょうどうはし)」の名は記され、「長四間四尺木製」と記された木橋だったそうです。經堂橋が石造のアーチ型眼鏡橋になったのは明治30年代末ということから「昇龍橋」も材質、及び構造からその頃の建造と考えられるそうです。經堂橋は、千載橋南にあるそうですが私も行ったことがありません。 橋名と大正4年の年記を持つ欄干は材質も異なり、また經堂橋にはこのような欄干はないため、橋の本体より後の建造だと考えられているようです。 旧上野村には「梅沢橋」という同種の橋があったそうですが、現在は庄戸入口の道路下に埋没しています。道路の拡幅や河川改修で市内の石橋のほとんどが消滅した現在、昇龍橋は横浜市内最古の石造橋とされており、「かながわの橋100選」にも選ばれています。昇龍橋の湧水
橋を渡った左手、鼬川へ少し崖を降りると湧水が出ています。この崖は結構危険です。水量も多く、茶色くなっていますので溶存物質が多いと思われます。白山社跡
昇龍橋を渡ると古い石段があります。ここを登ると鎌倉時代のやぐらなどもあります。鎌倉時代の「やぐら」とは、自然の崖を削って作った横穴式の納骨窟または供養堂です。ここにはやぐらしかありませんが、鎌倉にあるやぐらの多くには五輪塔などが建てられています。住所 | 座標 | 採水日 | 採水時間 |
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横浜市栄区長倉町1丁目 | 35.349057 139.582077 | 2016.8.21 | 7:15 |
水温 | EC(μS/m) | TDS | 塩分 |
17.4℃ | 1159 | 772 | 0.06 | pH | RpH | DO | COD |
7.30 | 8.40 | 3.0 | 5 |