「久留里の生きた水」は、平成の名水百選に選ばれ多くの人が汲みに訪れる名水です。久留里のまちなかにはあちこちに井戸が掘られています。同じ水脈より噴出している自噴井戸なので、水質はどこもほぽ同じです。

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観光交流センター

新大谷石で蔵のように造られた交流センターは、趣のある素敵な建築物です。こちらの駐車場へ車を停めて徒歩で町中をまわります。結構満車で、運良くちょうど空いたため、停めることができました。

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観光交流センターの水汲み場

明治中期、上総地方で開発された「上総掘り用具」により彫られた井戸があちちこちらに見られます。

座標:35.295448 140.076388

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上総幹部交番前

座標:35.29665 140.07657

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旧ヒラノクリーニング店横

現在は、クリーニング店をやっていないようです。レトロな井戸ですが、ここでは水汲みをしないよう張り紙がしてありました。

座標:35.29577 140.07805

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新町の井戸

駐車スペースもあり、ちょっとした休憩施設も備えた水汲み広場になっています。こちらで採水をしました。

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神明社

1661年(寛文元)伊勢神宮より勧請し、土屋氏が本社を創建、その後の元禄年間に酒井氏が社殿を造営しました。1742年(寛保2)以降は久留里藩主・黒田氏が手厚く崇高し造営料などを寄進していました。境内には八坂神社と琴平神社もあります。

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神明社前の井戸

座標:35.29642 140.07911

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ヘアーサロン横の井戸

座標:35.29633 140.079
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久留里の大井戸

寛永年間(1624~1644)に掘られた井戸であり、水深は7.5mとされています。現在は使用されていませんが、掘られた当時は城下町久留里唯一の生活用水で、一年中枯れることのなく、近郷近在から水汲みに訪れる人が絶えなかったとされます。江戸時代の久留里城主・黒田氏は井戸のある土地の税を免除し、井戸の修理や清掃には藩から助成金が交付されたそうです。現在も水が湧き出していて、蓋の横から流れ出ています。

座標:35.29621 140.07914

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空き地の井戸

座標:35.29612 140.07935

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新井白石居宅跡

新井白石は久留里城主・黒田利直に仕え、青年期の数年間久留里へ赴任しています。白石は、利直の江戸詰めの家臣の息子で、幼少期より優秀で13歳にして利直の代筆を勤めました。21歳の時に土屋家の内紛により追放されてしまいますが、江戸へ出て木下順庵の門下生となり幕閣入を果たします。六代将軍家宣、七代家継の相談役として、また儒学者として「正德の治」を推し進めました。「正德の治」とは、白石の儒学思想を基に文治主義と呼ばれ、生類憐みの令を廃止し、浪費により圧迫された財政を立て直そうとするものです。

座標:35.29531 140.08079

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三叉路の井戸

隣接のお宅は、この井戸よりホースで繋いで敷地内へ引いていました。便利でいいですね。

座標:35.29377 140.0795

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高澤の水

こちらも水質検査表が貼ってあり、飲用できるお水です。駐車場は、北へ80mほどの紙屋さんの向かいにありました。皆さん、台車を押してこの水汲み場へ来られます。

座標:35.29352 140.07899

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藤平酒造前

樽に注がれているところが酒屋さんぽいですね。

座標:35.29484 140.07797

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正源寺

1307年(徳治2)の創建とされ、1546年(天文15)には久留里城主・里見義堯(よしたか)が母の菩提寺としています。本尊の聖観音立像は、別名を加勢観音ともいい、義堯の守護仏です。その由来は小田原城北条氏が久留里城を攻めたとき、義堯が観音様を背負って戦を開始したところ敵陣の矢は一本も味方には当たらず、北条氏は敗走していったと言われます。観音様の背中には矢が刺さっていたといい、「おお、加勢してくださった」それ依頼、加勢観音と呼ばれています。また、三代将軍家光の時には御朱印として寺領20石を拝領し現在も山門の中央に「三つ葉葵」が見られます。
住所 座標 採水日 採水時間
君津市久留里 35.29659 140.07863 2019.10.20 11:00
水温 EC(μS/m) TDS 塩分
15.0℃ 236 159 0.01
pH RpH DO COD
8.0 8.0 4.8 3
※座標は、グーグルマップ、地理院地図、共通です。

久留里の水は、全て同じ水脈より自噴しているものですので、1箇所から採水しました。