2023年5月2日

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本日は中休みに設定している日で、歩くのは午後だけです。午前中はタクシーで移動し観光へ向かいます。すぐ近くの「内藤タクシー」さんに伊藤屋まで迎えに来てもらいました。

真野御陵からさらに250mほど山を上った「御馬石」と呼ばれる巨石までタクシーで連れて行ってもらいました。1500円ほどで到着したと思います。

9:45 御馬石からスタートです。御馬石は道路の東側にあり、すぐそばに狆石があります。

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御馬石と狆石(ちんいし)

「御馬石」は馬のうずくまった形に似ているという大きな石で、上皇の愛馬の化したものであるという伝説があります。「狆石」も上皇が撫でていたとする犬の化したものとの伝説があります。

道路を渡り西側の斜面を少し下りていくと「御舟石」があります。

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御舟石

舟に似た大きな石です。承久の頃、海水がこのあたりまであり、上皇の舟遊びに用いられた舟が崩御ののちに、自然に石に化したもので、今でも打つと舟を叩く音がするとの伝説があります。
TOO001 御舟石から山を下って行きますが、途中ズブズブのところもあり、なかなか大変な道ですが、なんとか通過します。

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しばらく進むと玉垣が続く真野御陵の東側へぶつかります。ここからは玉垣に沿って正面の南側へ回っていきます。

御陵入口前に「吉田松陰詩碑」があります。

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吉田松陰詩碑

吉田松陰と宮部鼎蔵は1852年(嘉永5)に東北への旅をしています。その途中にこの真野御陵を訪れました。この碑には二人の漢詩が記されているようですが、その意味はよくわかりません。 1936年(昭和11)大阪の日下伊兵衛と浮田高太により建立されたものです。
日下伊兵衛は折本形式の地図を発案した人で、1904年(明治37)日下和楽路屋を創業。浮田高太著、日下伊兵衛画により「大阪昔ものがたり・笑われ草紙」が出版されています。

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真野御陵入口

真野御陵へ入ると奥までは行くことができません。遠くから手を合わせます。

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真野御陵(火葬塚)

1221年(承久3)承久の変により佐渡へ流された順徳天皇は在島22年後の1241年(仁治3)、島の行在所で崩御されました。現在の真野御陵で火葬、遺骨は翌年従臣藤原康光によって都へ持ち帰り、大原の父、後鳥羽帝墓所の傍らに埋葬されました。「真野御陵」と呼ばれていますが、実際には火葬場です。
真野御陵をあとに佐渡歴史伝説館へ向けて歩いていきます。すぐに土産物屋があり「赤玉石」という大きな赤い石がたくさん置かれていました。

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赤玉石

日本三大銘石の一つにあげられる佐渡の「赤玉石」は佐渡市の赤玉集落より産出する良質の鉄石英をさします。魔除石として島内の各家庭でも玄関や床の間のかざりとして愛用されています。
県道の真野新町線を下っていきます。400mほど下ると右手の旧家のお庭に「石抱の梅」と書かれた案内板がありました。

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石抱の梅

順徳天皇のお手植えと伝えられ、樹齢750年余とされます。木の根元に大石を抱えているところから名前がついています。また、この場所は上皇行幸の時の駕与丁(神輿を担ぐ人)の子孫、式部長吉の屋敷跡と伝えられています。
カーブを2つ曲がると右側に「真野ふれあいセンター」と書かれた古民家があり、その前に「真野村発祥の地碑」という石碑がありました。

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真野村発祥の地碑

江戸時代より真野村と呼ばれ、1889年(明治22)に7ケ村が合併し、1901年(明治34)には金丸村など1町3村及び静平、下黒山と合併し、国仲平野から真野湾沿岸の大きな真野が誕生しました。石碑は2001年(平成13)建立されました。

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山本修之助句碑

『真野御陵 修之助 啼く蝉の しばしとだえぬ 風の中』

山本修之助は1903年(明治36)、真野に生まれ、詩人・俳人で郷土史研究家でもありました。主な編著に詩集「海濱秘唱」「佐渡の百年」「佐渡叢書」などがあります。順徳天皇御火葬塚に勤務していたということでこの場所に建立されたのでしょうか。1993年(平成5)に亡くなっています。
道なりに下っていくと「佐渡歴史伝説館」へ到着します。佐渡歴史伝説館前の池には「阿若丸」のオブジェがありました。

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阿若丸(くまわかまる)

妙宣寺が舞台です。このオブジェは阿若丸が復讐後に竹をしならせて逃げている様子のようです。

阿若丸(くまわかまる)

鎌倉時代末の公家日野資朝は後醍醐天皇の討幕計画に参加しますが、計画が漏れて佐渡へ流されました。息子である13歳の阿若丸は従者1人をつれて佐渡に渡りますが、守護本間入道に父を殺されてしまいます。復讐をするため本間の寝所に忍び込みましたが、本間入道は寝床を変えていたため果たせず、父を斬った本間三郎を殺した後に逃げ、なんとか京都まで逃げ延びました。

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佐渡歴史伝説館

順徳天皇佐渡流罪 1221年(承久3)、後鳥羽上皇は倉幕府執権の北条義時に対し討伐の兵を挙げ(承久の乱)敗れ、父である後鳥羽上皇は隠岐の島へ、土御門上皇は土佐へ、順徳天皇は佐渡へ配流されました。

日蓮上人佐渡法難

1271年(文永8)北条時宗の怒りをかい、佐渡流罪という名目で鎌倉滝ノ口において土牢から引き出し斬首しようとしたところ、江ノ島方より光の玉がやってきて、光の衝撃で振り下ろした刀が折れ、首を刎ねることができなかったという伝承があります。この直後に佐渡へ流されました。

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佐渡歴史伝説館

1434年(永享6)、世阿弥は将軍足利義教に疎まれ、72歳で佐渡へ流されました。世阿弥が佐渡で記した「金島書」によると福井県小浜の湊から船出し、佐渡の南岸である多田の湊へつきました。 小佐渡の山道を越え、長谷観音へ詣り、新保の万福寺に暮らし、後に泉へ移りそこで能を一曲奉納したと記されています。 泉の正法寺は世阿弥の配所という伝承を唯一残す寺であり、南北朝期の作である「鬼神の面」が伝わります。

入館者は一組ずつ入り、1つのゾーンが終わったら次のゾーンへと順番に見て回るスタイルで、座って見られるので楽ちんです。人形はなかなか良くできていますが、展示的なものは一切なく、かなり大雑把な概要のみの人形芝居だったので、もっと掘り下げていろいろなことが知りたかったです。できればプラスして展示でいいので細かいことを知りたかったです。

最後に佐渡の伝説についての人形芝居がありました。

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佐渡の伝説

「おけさ伝説」、「安寿伝説」、「夕鶴伝説」の一部を人形劇で紹介してくれますが・・・ほんとに一部分で、どのようなお話なのかわかりません。「安寿伝説」、「夕鶴伝説」はある程度わかるのですが・・できれば全部わかるようになっているといいのですが・・

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佐渡の塩ミルクジェラートと沢根だんご

さて、ここで一休み。平釜で13時間かけて炊き上げた佐渡の天然塩が練り込まれたジェラートと沢根だんごを買いました。沢根だんごは 米粉で作った薄い餅であんこを包んだ一口大の団子で、氷水に入っています。つるっとした食べ心地が独特のお団子で、美味しかったです。

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雪室珈琲

朱鷺の郷Cafeの前に「雪室珈琲」と出ていたので気になり、入店してしまいました。コーヒーだけでは悪いかとロールケーキを注文しましたが、これが最悪でした。凍ったまま出されたのです。カッチカチ。ザブングルもびっくり!!客に凍ったロールケーキを出すとは。コーヒーはまあまあだったのに。残念なお店でした。
佐渡歴史伝説館をでて、すぐ隣の真野宮へ向かいます。入口の「順徳院歌碑」をみて、真野宮へ入って行きます。

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順徳院歌碑

『ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある むかしなりけり』

百人一首に収められている歌です。

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暉峻康隆「文弥節」歌碑

『岡本文司翁の「文弥節」をききて 文学博士暉峻康隆 とし老いし文司が語るにしへのかなしき歌に夜はふけにけり 叩石かく』

 暉峻教授は長く早稲田大学の教壇に立ち、井原西鶴の研究で知られた人だそうで、1950年(昭和25)縁日の人形芝居を見て、このときの太夫が岡本文司でした。
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真野宮

佐渡へ流された順徳上皇は在島22年の1242年(仁治3)、45歳のときにここにあった真輪寺で崩御されました。真輪寺は明治の廃仏毀釈により廃寺となりますが、1874年(明治7)真野宮として再興され、順徳天皇が祀られています。現在の社殿は1920年(大正9)に造営され、1942年(昭和17)の700年祭に神域が拡張されました。

真野宮拝殿の右手奥のほうに「順徳上皇行在所跡」と「真輪寺一石五輪塔」があります。

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順徳上皇行在所跡

黒木御所の説明では22年間黒木御所に居住されたとあり、いつ頃真輪寺に来たのかわかる資料がありません。崩御されたときには、真輪寺にいらしたようですが、暮らしていたのか、たまに来る程度だったのか・・詳しいことはわかりません。

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真輪寺一石五輪塔

真野川の河川改修工事中に出土したものだそうです。1322年(元享2)の銘があり、真輪寺が天台宗系の修験(山伏)場として全盛の頃に製作されたものと推定されています。
真野宮から県道へでると大きな真野宮の鳥居があります。北側が広場のようになっており、その一角に「山本悌二郎の碑」と「佐渡ヶ島林蔵顕彰碑」がありました。

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山本悌二郎の碑

昨日、真野で山本悌二郎・有田八郎の生家前を通りましたね。 漢方医師の次男として生まれた山本悌二郎はドイツで学び、1890年(明治23)台湾製糖株式会社を創立。1904年(明治37)衆議院議員に当選し、以来11回当選し、農林大臣を2回任命されています。

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佐渡ヶ島林蔵顕彰碑

1909年(明治42)真野町吉岡で生まれ、本名は佐々木林蔵。23歳で浅香山部屋へ入門しますが、師匠の急逝により閉鎖されたため井筒部屋へ移り、西前頭12枚目が最高位だったそうです。1942年(昭和17)には招集をうけ1943年(昭和18)に復帰しましたが病のため廃業し、栃木で余生を送り1955年(昭和30)に45歳の若さで没しました。 顕彰碑は1980年(昭和55)有志により建立されました。
真野宮の大きな鳥居の前で朝送ってもらった真野の「内藤タクシー」さんに電話をして迎えに来てもらいました。GWの今日はとっても忙しそうです。でもちょうどタイミングが良かったのか、すぐに迎えに来てもらえました。昨日宿泊した伊藤屋の前まで乗せていただきました。

13:00 伊藤屋の前から「相川街道」を歩いていきます。すぐに内藤タクシーさんの前を通過します。伊藤屋から300mほど進み、右へ曲がり「司馬凌海の碑」を見に行きます。突き当りを右へ曲がり、真野小学校の東側に大きな石碑があります。

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司馬凌海の碑

司馬凌海については、「司馬凌海生家跡」でふれましたので割愛しますが、この碑は山県有朋の篆額、石黒忠悳の撰文、山本充(号は静古、通称半蔵)の書で1906年(明治39)に建立されました。
相川街道へ戻り、国道を350mほど進むと右手に「逸見酒造」があります。このあたりの街道は国道となっていますが、黒い瓦屋根の昔ながらの住宅が多く立ち並び、往時の雰囲気が残されています。

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逸見酒造

1872年(明治5)創業の逸見酒造さんは、佐渡で一番小さな蔵元なのだとか。「真稜」という銘柄のお酒が作られています。

逸見酒造さんから先も古い住宅が続きます。250mほど進むと右手に「長石神社」、そのすぐ先右手に「北向地蔵堂」、車道を挟んで左手側に「菊池翁顕徳碑と石仏」がありました。

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長石神社

往時は「長石大明神」といい、府中八幡の前方にあった祇園社を移したものとされ、御神体は長い大石で「市場神」といい長石の鎮守です。祗園祭には境内で大市が開かれていました。鳥居脇には庚申塔と秋葉山塔がそれぞれ一基ずつあります。

「神社前には国府川の河跡、「古川」という池が残っている」と歴史の道調査報告書にはありましたが、埋められてしまったのでしょうか・・池はありませんね。

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北向地蔵堂

堂脇の秋葉山塔には「文政」の銘があり、石灯籠には1830年(文政13)の銘があります。

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菊池翁頌徳碑・石仏

菊池長右衛門を讃え、1940年(昭和15)に建立した碑のようです。このあたりでは昭和初期頃に梨やリンゴの栽培が始まりました。温床という野菜苗の早期栽培施設が四日町・長石で行われるようになりました。これを指導したのが菊池長右衛門でした。彼は明治末に先進地である越後西蒲原味方村加茂新田へ出向き、技術を学び、郷里へ帰ると海岸砂丘の開拓を考え、四日町・長石浜の荒地を1922年(大正11)から3年にかけて開墾し、これを守るために大防風林を一年余りかかりつくり上げました。

年代不明の3基の庚申塔は北向地蔵堂の脇にあったと思われますが、今は道路の反対側にあります。

170mほど進むと右手の路地に「題目碑」がありました。

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道標題目碑

正面に題目が刻まれ、その下に「阿佛房 三十二世」とあり、左側面に「これよりあふつみち」と彫られています。恐らく阿仏房が居住していた「妙宣寺」への道標だと思われます。妙宣寺付近は地名も「阿仏房」です。ここで右へ曲がり、2.5kmほど東へ向かった場所にあります。1839年(天保10)建立。

阿佛房日得上人

阿仏房(遠藤為盛)は1189 (文治5)生まれ、佐渡に流された順徳上皇に仕え上皇没後、妻の千日尼とともに落髪しました。1271年(文永8)佐渡流罪中の日蓮上人に接し、千日尼とともに上人に帰依しました。御供養品を入れた櫃(ひつ)を背負い塚原にいた上人のもとへ通っていました。1279年(弘安2)亡くなっています。

題目碑の次の角が「大願寺」の入口で、ここを右に曲がり突き当りを左へ曲がると「大願寺」です。

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佐渡 大願寺入口

大願寺の門前では「彼岸市」と呼ばれた大市が開かれ、島内から大勢の人が訪れたそうです。
相川街道からは500m近くあります。結構遠いのですが寄り道してみました。

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大願寺山門(赤門)

1782年(天明2)の建築で、山門両脇の石垣も含めて貴重なものです。
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大願寺

1345年(貞和元)の創建と伝わる時宗の寺院で、佐渡における時宗の布教の中心地でした。「佐渡高野」と称されるほど多くの人が訪れていましたが、1573年(天正17)、佐渡平定のため越後の上杉景勝により攻められると、当時60坊あった伽藍はことごとく焼失してしまいましたが、1609年(慶長14)佐渡代官、大久保長安によって再建されました。

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天満宮

大願寺境内にある天満宮は、代々奉行の祈願所となっていました。また佐渡の連歌の中心的存在であり、毎月金銀山の繁栄を祈願して月次連歌を行っていたそうです。

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金子のぼる句碑

『初天神一切空の山の音』

1922年(大正11)真野四日町に生まれ、旧制の専門学校入学者資格検定試験の勉強中、俳句に興味を持ちました。入隊、敗戦後はソ連抑留。抑留中も仲間と句会を結成。復員後、役場で働きながら俳句を作り続け、1979年(昭和54)「佐渡の海」で第25回角川賞を受賞。真野小学校校歌の作詞も手掛けています。句集「佐渡」を残し、1983年(昭和58)に亡くなっています。
大願寺をあとに相川街道へ戻ります。すぐ右手にあるのが「宝林寺」です。

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宝林寺

大願寺の寺家(僧の住む家)で、もとは「海潮庵」といいました。子安観音堂、薬師堂、阿弥陀堂などを管理しています。
宝林寺から300mほど進み、国道と別れて真っすぐ進み、旧道へ入っていきます。その分かれ道に「如意輪観世音堂」がありました。

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如意輪観世音堂

たくさんのお花に囲まれた観音様はとても大切にされているようです。

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四日町旧道

四日町は野菜作りに適した砂地で、佐渡有数の畑作地帯として知られてきました。古い町並みが残されています。

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秋葉塔と庚申塔

国府川に突き当たる手前の右手に「秋葉塔」と「庚申塔」が並んでいます。
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国府川と国府橋

真野湾に注ぐ佐渡一の河川です。国府川は以前、落合橋(国府橋から北へ1つ目の橋)付近から四日町の水田地帯を東側へ蛇行し八幡若宮社脇を通り、長石神社前付近から新町の高立川付近へ注いでいました。1628年(寛永5)に落合橋から真野湾へ真っ直ぐ注ぐよう大工事が行われました。

河口近くの国府橋を渡り真野町へ入ります。佐渡博物館の手前、右手に小さな社があり、佐渡博物館前に「本間太郎右衛門供養塔」があります。

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お地蔵様

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本間太郎右衛門供養塔

寛永一揆でリーダーを務めた辰巳村の開発者で、名主の本間太郎右衛門の供養塔です。1903年 (明治36)建立。もとは辰巳の本間太郎右衛門の屋敷前に有志によって建立されたものが現在地へ移設されています。
佐渡博物館前には多くの石仏があります。いずれも佐渡の各地から集められたもののようです。

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六字名号碑と庚申塔

この「六字名号碑」は八幡辰巳の開拓に尽力した本間太郎右衛門の供養のため建てられました。どちらももとは八幡にあったものです。

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如意輪観音六十六部廻国供養塔

「如意輪観音」は椿尾にあったものです。「六十六部廻国供養塔」は法華経を書き写して全国の霊場に収めた修行僧者を供養するために建立されたもので、もとは畑野にあったようです。

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世阿弥の手紙碑

この碑文は世阿弥が佐渡流罪中に都の娘婿である「金春禅竹」に宛てた直筆の手紙を石碑に移しています。この手紙は奈良生駒市の宝山寺に保存されているものです。 娘の寿椿が世話になっていること、銭十貫文が届いたことに対する御礼、鬼の能についての回答、佐渡に紙が不足していることなどが記されています。
まだホテルのチェックイン時間には早いので、「佐渡博物館」に入館しました。ここは主に佐渡の自然に関する展示と古代から中世くらいの展示が多かったように思います。 一番良かったものは特徴ある地形の佐渡という大きな島がどのようにできたのかという展示でした。

博物館の裏手(八幡館側)の庭には各地から集められた石仏が展示されています。

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石仏

道標も集められています。道標はその場所に置いておいてほしいですね・・・

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旧浅島家住宅

金井地区から移築した農家の主屋です。1858年(安政5)の建築です。

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中野四郎太銅像

佐渡の移動ではかかせない路線バスの「新潟交通」の創業者のようです。

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昭和天皇御散策の道

昭和天皇が佐渡へこられた時には「八幡館」へ宿泊したそうです。その際にこの森を散策されたようですね。この「昭和天皇御散策の道」を通り、本日宿泊する「八幡温泉 八幡館」へ向かいます。
15:07 今日もお天気はよく、楽しく歩けた一日でした。「八幡館」の温泉はとっても良かったです。