長野県

長 野 県 の 湧 水

借宿の湧水 北佐久郡軽井沢町長倉 滝の湧水 佐久市塩名田
松尾神社の御神水 小県郡長和町長久保791 和田青原の水 小県郡長和町和田青原
和田ののみ水 小県郡長和町和田中組 和田埜神社の水のみ 小県郡長和町和田原
和田八幡神社の湧水 小県郡長和町和田原 橋場の水 小県郡長和町和田新田
接待所の湧水 小県郡長和町和田唐沢 黒耀の水 小県郡長和町和田男女倉
柳原清水 諏訪郡下諏訪町木の下 慈雲寺の龍の水 諏訪郡下諏訪町社町
御作田神社の湧水 諏訪郡下諏訪町新町下 旦過湯 諏訪郡下諏訪町湯田町
御前水 北佐久郡軽井沢町追分 八幡神社の御神水 小諸市八幡町1丁目
弁天の清水 小諸市大字諸 片羽八幡水    東御市滋野
白鳥神社の井戸 東御市本海野 岩下清水    上田市岩下
保命水   上田市中央4丁目 真田氏本城跡水の手湧水 上田市真田町長真田
別所温泉石湯 上田市別所温泉 古川神社の水 上田市古安曽
上塩尻の清水 上田市上塩尻 中之条の清水 埴科郡坂城町大字中之条
柏清水   千曲市大字戸倉柏王 針の木沢湧水    東御市県
戸倉上山田温泉 千曲市上山田温泉2丁目 万葉超音波温泉 千曲市大字磯部新戸倉
下の酒屋の水 千曲市大字大字戸倉 大瀧神社の湧水 千曲市大字羽尾仙石
こわ清水   千曲市大字羽尾 甘泉     埴科郡坂城町大字坂城
強清水   塩尻市大字上西条 三嶽神社の御神水     塩尻市大字中西条
平出の泉   塩尻市大字宗賀 雷鳥公園横の姥ヶ池     塩尻市大門二番町5
あふたの清水   塩尻市洗馬 白山神社の水     塩尻市大字贄川
本山宿本陣の水   塩尻市大字宗賀 若神子の水場     塩尻市大字贄川
贄川駅前の水場   塩尻市大字贄川 桜沢トンネルの水  塩尻市大字贄川
鳴沢清水     岡谷市今井 池生神社の湧水   塩尻市大字宗賀
味噌川ダム下の湧水     木曽郡木祖村 奈良井宿の宿場用水   塩尻市大字奈良井
禅福寺の湧水   長野市松代町 清水の水鉢    上水内郡信濃町
大日堂の湧き水   長野市皆神台 小藻井の泉    長野市松代町東条
上杉謙信槍先の泉   長野市松代町岩野 上杉謙信槍尻の泉    長野市松代町
松代の泉水   松代町松代表柴町 北中原遺跡の水   千曲市屋代  
贄川宿の宿場用水   塩尻市贄川 押込の水場   塩尻市贄川  
長瀬の水場   塩尻市贄川 奈良井宿八幡宮の水   塩尻市奈良井 
峰の茶屋跡の水場   塩尻市奈良井 義仲硯水   塩尻市奈良井 
原町清水  木曽郡木祖村薮原 二又水道組合の水場  木曽郡木祖村薮原 
なわて若がえりの水  松本市大手3丁目 中町蔵の井戸  松本市中央2丁目 
源智の井戸  松本市中央3丁目 伊織霊水  松本市中央4丁目 
薬祖水  松本市中央4丁目 槻井泉神社の湧水  松本市清水1丁目 
女鳥羽の泉  松本市大手5丁目 鯛萬の井戸  松本市大手5丁目 
地蔵清水  松本市丸の内 北馬場柳の井戸  松本市丸の内 
地蔵清水  松本市刈谷原町 地蔵原水  東筑摩郡筑北村乱橋 
丹花の井戸  東筑摩郡筑北村坂北青柳 麻績の水  東筑摩郡麻績村麻上町 
馬の水飲場  東筑摩郡麻績村 弘法の清水  東筑摩郡麻績村 
藪原神社の湧水  木曽郡木祖村薮原 南宮神社の水  木曽郡木曽町日義野上 
南宮神社の手洗水  木曽郡木曽町日義徳音寺 日義徳音寺の水  木曽郡木曽町日義徳音寺 
旗挙八幡宮の水  木曽郡木曽町日義巾 白蛇の清水  木曽郡木曽町日義
洗馬上組の水  塩尻市洗馬上組 長興寺参道の湧水  塩尻市洗馬上町 
太田の清水  塩尻市洗馬太田 木曽駒冷湧水  木曽町日義 
代官清水 木曽町福島大手町 上の段用水  木曽町福島 
宮ノ越本陣の水場 木曽町日義 手習天神の水場  木曽町新開 
権現水 木曽町福島 牛越用水  木曽町福島矢沢 
須原宿の水場 木曽郡大桑村須原 風越山の湧水  木曽郡上松町荻原 
神明神社の水場 木曽郡大桑村須原 立町立場の水場 木曽郡上松町立町 
神戸の水場 木曽郡木曽町福島神戸  - 

長野県記事一覧

松尾神社は旧中山道沿いに鎮座する神社です。東の芦田宿より笠取峠を越え、長久保宿入口にあります。松尾神社京都の「松尾神社」祭神を分霊して祀り、酒造の守護神として近隣の酒造家の信仰を集めています。以前は長久保の横町裏にありましたが、小学校の校庭拡張のため昭和33年に現在地へ移動しました。拝殿は1827年(文政10)茂田井村の別府兵左衛門秀信の建築によるもので、本殿は1860年(万延元)に宮大工、三代立...

旧中山道を西へ進み、塩名田宿を過ぎた「河原宿」という千曲川近くの湧水です。河原宿(お滝通り)河原宿は道幅が江戸時代と変わらず、角屋(木造三階建、切妻、桟瓦葺、平入、楼閣風)など昭和初期に建てられた木造3,4階建ての建物が軒を連ね赴きある町並みが残っています。角屋は正面の木造3階建ての建物で、往時は休茶屋を営んでいました。1931年(昭和6)に中津橋が従来の木造橋から、鋼製の橋に架け替えられ、国道が...

『借宿』は、旧中山道、沓掛宿と追分宿の間の宿として、また女街道(下仁田街道)の分岐点として、江戸時代には茶屋や造り酒屋などがあり賑わったところです。現在はひっそりとしていますが、在原業平の歌に歌われる「遠近の里」に違いないと自称し、借宿界隈を遠近郷と称し、1771年(明治8)に浅間山社を遠近宮と改称しました。遠近宮(おちこちみや)元々は浅間山社といい、浅間山を御神体とする浅間様が祀られていました。...

中山道、長久保宿より和田宿へ至る途中の青原バス停横に設置されている水場です。依田川と大門川が合流する「落合」の直ぐ側にあります。青原のバス停は、大社造りの立派なバス停です。周囲も石張りなどでとても綺麗に作られています。水量は多くはありません。掘抜井戸であるか、どこからかパイプで引いているのか、全く不明ですが、水温からは地下水だと思われます。後ろに給水のバルブが設置されていましたので、どこかに井戸か...

小県郡長和町、旧中山道沿いの清水です。「のみ水」と書かれているので、飲めるお水のようです。消防団や水防倉庫などがある土地で、公共用地のようです。火の見櫓のすぐ下の道路沿いに水汲み場が設置されています。とても綺麗に整備されており、石碑には「のみ水」と彫られています。地元の方も車で汲みに来られていました。住所座標採水日採水時間小県郡長和町和田中組36.227803 138.2418422019.7.1...

小県郡長和町、長和町立和田中学校跡横にある和田埜神社参道、一の鳥居脇にある清水です。和田中学校跡映画の撮影に使われそうな古き良き時代の木造校舎、昭和22年に開校し70年、2017年で閉校となり近隣の中学校へ合併したようです。和田埜神社1800年(寛政12)に建てられた和田神社の大きな石造りの一の鳥居です。和田神社はここより北へ400mほどの場所に社殿があります。鳥居の扁額は「和田埜神社」であり、江...

小県郡長和町和田原、中山道和田宿、東の枡形に建つ「和田八幡神社」の湧水です。和田八幡神社応神天皇を祀っています。和田城主、大井氏の居館の鬼門除けに造られたとされます。本殿は18世紀前期の建築と推定されています。和田八幡神社下の旧中山道沿いの石垣から湧出しています。苔むした手水鉢が古くからこの地に湧出していた清水を物語っています。住所座標採水日採水時間小県郡長和町和田原36.209768 138.2...

小県郡長和町和田新田の旧中山道沿い、バス停「和田新田」横にある水場です。和田八幡神社より和田宿へ入り、300mほど進みます。だんだんと旧街道らしい町並みとなってきます。火の見櫓も見え、コンクリートのバス停の脇、少し見えづらい位置にありますので、気づかないこともあるでしょう。双代道祖神と一緒に水場が設けられています。本陣や宿場の中心部を通り過ぎ、「鍛治足」へ差し掛かるあたりにもう1箇所、水場を見つけ...

長野県小県郡長和町唐沢にある旧中山道接待所(永代人馬施行所)脇にある湧水です。接待(和田峠永代人馬施行所)江戸呉服町の加瀬屋与兵衛(有隣)は1824年(文政7)、箱根の東坂と西坂に人馬施行所を設けました。4年後の1828年(文政11)に中山道碓氷峠、和田峠にも人馬施行所を設けています。人馬に無料で粥や焚火、飼葉などを提供していました。1851年(嘉永4)大雨のための洪水で流出し、和田宿で仮小屋を建...

旧中山道、和田峠を越え下諏訪へ向かって下る山道、「七曲り」付近にある湧水です。和田峠天候は雨・・・苦労して登りましたが、頂上からは何も見えませんでした。真っ白な世界・・・柳原清水苔むしたパイプからは湧水は出ておらず、涸れてしまったのかと・・思いきや奥の青いビニルパイプから湧出しています。標高は約1581mです。周囲には苔に覆われたお地蔵様もあり、長い年月この地で旅人を見守っていたことが伺われます。...

下諏訪町にある慈雲寺の参道下、道路に面して設置してある「龍の口」より流れ出ている湧水です。慈雲寺大祝金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて1300年(正安2)に開山されました。武田信玄ゆかりの寺として知られています。天桂の松・大梵鐘・竜の口などの見所も多く、裏山には高島城を築いた豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉の墓もあります。龍の口中山道に面した石段の参道下に「龍の口」があり、ち...

旧中山道、下諏訪宿の「御作田神社」の石垣から流れ出ている湧水です。下諏訪宿は、宿場町らしい町並みになっていて、雰囲気がとってもいいです。御作田神社諏訪大社の末社、下社の御作田祭(稲作植神事)は、毎年6月30日、この境内で行われます。この日植えられた稲は1ヶ月後の8月1日には諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられ、「御作田の早稲」として諏訪七不思議の一つにあげられています。境内前の石垣からは、パイ...

旧中山道、下諏訪宿「湯田坂」にある旦過湯(たんがゆ)です。江戸時代の下諏訪宿の旅籠には内湯はなく、3つの源泉(旦過の湯、児の湯、綿の湯)の共同浴場に入っていました。旦過の湯、児の湯は現在でも利用されています。太田南畝(蜀山人)は西から東へ向かっていましたが、下諏訪で宿泊の際には「宿の向かいに温泉あり。宿のあるじ風呂たく労をはぶきて温泉に浴せしむ」とあり、外湯の温泉へ入ったと記されています。旦過の湯...

中山道、追分宿の脇本陣、油屋の向かいを南へ入った場所にある湧水です。脇本陣油屋脇本陣の中でも素晴らしく壮麗な建物だったそうですが、昭和12年の火災で全焼しました。その後再建されたものが現在の建物です。信濃追分をこよなく愛した堀辰雄は、油屋に滞在し「風立ちぬ」など数々の名作を生みました。抒情詩人、立原道造もここで「村ぐらし」などの詩を残しました。御前水入口中山道に面した道路上に入口の看板があります。...

北国街道、小諸宿にある「八幡神社の御神水」です。浅間山からの地下水です。八幡神社1608年(慶長13)小諸城主、)仙石秀久が戦いの神として望月より勧請した神社です。境内には秀久の鎧も奉納されているそうです。また、高浜虚子の句碑も建立されています。『立科に 春の雲 今うごきをり』後ろに見えているのが、熊野神社です。手水舎より御神水が出ています。恐らくどこかに井戸があり、導水していると思われますが、ど...

東御市立滋野小学校の北側にある八幡神社、境内に湧く「片羽八幡水」。大正時代、小学校建設にあたり、飲水が確保できるこの地が選定されたそうです。八幡神社縁起や創建はわかりませんが、神社内のケヤキには目を引かれます。とても大きなケヤキです。小屋の下から冷たい清水が流れ出てきています。片羽八幡水「八幡様の清水」といわれ古くから地元の人々の飲み水、生活用水、灌漑用水として大切にされてきました。明治11年、明...

北国街道、海野宿東の入口に位置する「白鳥神社の井戸」です。海野宿は、江戸時代の宿場町そのままの佇まいで、まるでタイムスリップしたような素晴らしい街です。海野宿海野宿の成立は1625年(寛永2)とされます。田中宿を補助する宿場として田中宿と半月交代で業務を行っていましたが、戌の満水(寛永2年の土石流)により田中宿が流出したため代わって本陣となりました。田中宿復興後は伝馬役のみ交代とし、本陣はそのまま...

北国街道、海野宿から上田宿へ向かう途中の上田市岩下地区にある湧水です。地形図からみると、流域は浅間山というよりは、殿城山など神川流域からのものと思われ、神川の扇状地の突端から流れ出ています。岩下の「太鼓岩」はすぐ近くです。太鼓岩千曲川の真ん中に角礫火山岩の巨大な岩があります。対岸の小牧山の火山活動があった頃の噴火物が残ったと言われています。1928年(昭和3)には、上田八景に選ばれました。千曲川の...

北国街道、柳町の枡形にある「保命水」です。柳町はとっても素敵な街です。柳町江戸時代の雰囲気を色濃く残す街です。格子造りや蔵造りの家々が軒を連ね、造り酒屋や蕎麦屋などの飲食店が並んでいます。卯建が上がり、鶴や亀がついていたり、文字が描かれている卯建もあるそうです。映画「青い山脈」や「犬神家の一族」などたくさんの映画のロケ地でもあります。保命水1881年(明治14)新田の海禅寺に湧き出る清水を木管で引...

東山道、清水駅跡から北へ700m、浅間山の麓より流れ出ている清水です。東山道清水駅(うまや)跡・星見の井戸跡東山道は古代の官道の一つで、律令制度が整備された7世紀以降に成立されたとされます。官道には30里(約16km)ごとに駅(うまや)がおかれ、全長は270m、清水駅は信濃にある15の駅の一つです。駅には駅長が置かれ、10疋の馬を常備していました。現在の石碑が置かれている場所は西木戸あたりだったよ...

信州最古の温泉といわれている別所温泉、「石湯」の玄関先、龍の口からでている飲める温泉水です。石湯別所温泉には3つの外湯(共同浴場)があり、「石湯」はそのうちの一つです。天然の岩をそのまま浴槽にしています。とっても小さいお風呂すが、破格の150円です。中はとても小さく、4人くらいが限度でしょうか・・地元のおばあさんが毎日通うようなお風呂です。お風呂の中でおばあさんが、家のお風呂を沸かすより安いから、...

長野県上田市古安曽にある「古川神社の水」です。上田方面より県道65を通り、平井寺トンネルへ向かう途中、右手に折れてすぐの神社です。鳥居横に車も停められて有り難いです。平井寺トンネルは最近まで有料だったようですが、現在は無料となったようです。古川神社鳥居鳥居横に水場があります。チョロチョロですが出ています。鳥居から拝殿まではかなり急な階段を延々登ります。何段くらいあったのでしょうか・・林徳左衛門顕彰...

和田峠の東にあたる男女倉(おめくら)に湧く湧水、「黒耀の水」です。国道142号線新和田トンネル料金所のすぐ近くの「名水広場」に引かれています。名水広場は大きな駐車場になっており、トラックなどの大型車なども駐車できます。運送屋さんも仕事の途中に寄られるようで、水筒にお水を入れていきます。黒耀石の原産地の麓にあたる男女倉地区では、昭和27年に黒耀石の石器を大量に制作していた大規模な旧石器時代の遺跡群が...

上田市真田町の「真田氏本城跡」にある「水の手湧水」に訪れました。真田氏本城は、松尾城、真田山城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれています。真田氏本城跡真田氏本城は、天白城と共に馬蹄形状に構築され、南西面に広がる緩斜面には真田氏館跡や原の郷があり、さらに砥石城、矢沢城を望むことができます。本郭は東西8.6m、南北37m、南側に高さ2mの土塁を築き、北方へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延びだし、...

長野県上田市上塩尻の北陸新幹線「五里ケ峯トンネル」から湧出する清水です。北陸新幹線「五里ケ峯トンネル」の東出口にあり、トンネルより湧出する大量の湧水が流れてきています。五里ケ峯トンネルは、上田市 、坂城町、戸倉町、更埴市にわたる全長15.2km、国内の陸上鉄道トンネルとしては日本で第4位の長距離トンネルとされます。五里ケ峯トンネルの地形と地質五里ケ峯トンネルは、新第三紀層 の基盤岩か らなる急峻な...

大峯山、大道山の麓、畑や住宅の中に位置する中之条に大量に湧出している清水です。清水の湧出口は、この石の間からとなっています。かなり大量に流れて来ますが、水温が少し高いため、この場所からの湧出ではなく導水によるものと思われました。そこで、水汲みに来ていた農家の方にどこからの水を導水しているのか伺いました。北陸新幹線「五里ケ峯トンネル」からのものだそうです。なるほど。それであれば、大量のはずです。納得...

「柏清水公園」に湧出していると水です。柏清水公園は、北陸新幹線「五里ケ峯トンネル戸倉横坑」の脇にあり、トンネルより湧出する大量の湧水を利用した公園です。柏清水公園公園には駐車場もあり、5台程度停められます。柏清水一番上の段の池の中の塩ビ管より湧出しています。湧水点は「五里ケ峯トンネル」からです。五里ケ峯トンネルは、上田市 、坂城町、戸倉町、更埴市にわたる全長15.2km、国内の陸上鉄道トンネルとし...

あがた御膳水公園公園には駐車場やトイレも完備されています。駐車場から流れに沿って、奥に進んでいきます。150m程度進むと「針の木沢湧水」の標識があり、流れの最上流にたどり着きます。明治天皇田中御前水碑弁天様として親しまれている厳島社の下から湧水する清水で、明治11年の明治天皇北陸巡行の際に飲用水として用いられたため、「田中御前水」とも呼ばれています。以前は近隣では飲水として利用されていましたが、現...

千曲市上山田温泉をぶらぶら散策し、温泉水を汲みました。上山田温泉レトロな昭和の温泉街のような雰囲気です。境井量之助翁顕徳碑、畑山国三郎翁顕徳碑、津村信夫詩碑などが並んでいます。津村信夫は、よく信濃、追分を旅していたようです。石碑に彫られている詩は「千曲川」です。『 その橋は まことながかりきと  旅終りては人にも告げむ  雨ながら我が見しものは  戸倉の燈(ひ)か 上山田の温泉(いでゆ)か  若き...

「万葉超音波温泉」は、上山田温泉街へ入る手前にある公衆浴場です。朝は4:00から、夜は23:00までと営業時間が長く入浴料も350円と安いです。近所の銭湯に近いイメージで、近所の方が多く、休憩所はちょっとしたベンチが並んでいるスペースのみ、飲み物とアイスの自動販売機はありました。シャンプーやボディソープはありましたが、ドライヤーは3分(?)20円です。小銭が必要です。『超音波』はよくわかりませんで...

江戸時代、北国街道の戸倉宿の「下の酒屋」と呼ばれていた「坂井銘醸」は一際目を引く、江戸時代さながらの茅葺屋根の母屋が街道沿いにあります。坂井家は元々、信濃国屈指の大地主で、15代坂井量之助は明治時代に苦労して戸倉温泉を開いた人物としても名が知られています。建物は奥にもたくさんありますが、この茅葺きの母屋が一番古く、1760年(宝暦10)の大火のあとに立て直したものです。敷地内には「宝暦蔵」、「寛政...

冠着山(姥捨山)の北斜面に湧出する湧水が「大瀧神社の湧水」です。冠着山からの湧水は多く、近隣には「こわ清水」もあります。冠着山は、標高1252m、「姨捨の月」や「姨捨伝説」の舞台となった姨捨山は、冠着山の別名です。平安時代から月の名所として知られています。『更級や 姥捨山の 月ぞこれ 虚子』山頂には小さな祠と虚子の句碑もあるそうです。大瀧神社小さな神社ですが、地域の氏神様でしょう。綺麗に整備されて...

冠着山(姥捨山)の北斜面に湧出する湧水が「こわ清水」です。冠着山は、標高1252m、「姨捨の月」や「姨捨伝説」の舞台となった姨捨山は、冠着山の別名です。平安時代から月の名所として知られています。『更級や 姥捨山の 月ぞこれ 虚子』山頂には小さな祠と虚子の句碑もあるそうです。千曲川方面より美しい谷戸を雄沢川沿いに登っていきます。道は狭いですが舗装もされており、特に問題はない道でした。こわ清水を通り過...

埴科郡坂城町の北国街道沿いにある「甘泉(かんせん)」は、現在は涸れてしまっています。甘泉(かんせん)古来よりこの地には名沢川に由来する伏流水が清水となって湧出し、人々の生活用水であり、名水でした。江戸時代の文化・文政(1814年~1819年)、四ツ谷組頭 塚田勘九郎が時の代官男谷燕斎に清水の命名を請願したところ「甘泉」と命名し、詩文を自ら筆をふるい、与えられました。このときに碑が建立されました。昭...

信濃と三州(三河)を結ぶ街道である伊那街道(三州街道)、上西条神社内に湧き出している清水です。上西条神社上西条神社は、大正13年上西條地域の神社を合祀し、「上西條神社」として創立した神社です。合祀した各々の神社に由緒がありますが、特に「信陽峯神社」には明暦2年、天保3年の棟札や日本武尊の伝説などが残ります。江戸時代には松本藩主、松平定年の崇敬が厚く、灯篭、刀剣、掛物、額などの寄進があり、現在も残っ...

山を背にし緑の中に鎮座する三嶽(みたけ)神社は、檜や杉の木立に囲まれた静かな佇まいの神社です。カーブの所が本来の参道と思われますが、そこから東へ1つ進んだ角を右に登っていくと広い駐車場があります。武田信玄が当地区を平定後に、甲斐の御嶽神社を勧請したと伝えられるそうです。本殿、拝殿、神楽殿、天満神宮が置かれ、交通安全、開運招福の信仰篤く、多くの崇敬者が参拝に訪れるといいます。ちょうどお祭りの準備でし...

平出遺跡より南西に約500m、古来から生活に欠かせない泉として湧き出していたと思われる「平出の泉」へやってきました。平出遺跡 縄文の村平出遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての大集落跡です。史跡の一部は「平出遺跡公園」として復元整備が行われています。雀おどりの家平出遺跡 縄文の村から平出の泉へ向かう途中には、立派な雀おどりのついた旧家が何軒か見られます。雀おどりとは、屋根の棟飾りで、江戸時代には本...

周囲はすっかり開発され、雰囲気のない姥ケ池ですが、湧水は今でもかなりの水量が湧出し続けています。若宮八幡宮御旧跡地写真奥の階段上に「八幡神社」があったようです。その下に姥ケ池があります。現在は、すぐ南側にJR中央本線が通り、周囲は住宅地となり昔の面影はなくなってしまったのでしょう。池からはコンクリート管で道路反対側へ流れ出てきおり、野菜などが洗える洗い場となっています。池のどのあたりから湧出してい...

中山道洗馬宿、北国西街道との分別れより南に200mほどにある「あふたの清水」です。中山道沿いに案内が出ていますので、そこを奈良井川へ向かい、河岸段丘の細道を下りて行きます。あふた(邂逅)の清水1180年(治承4)、平氏追討の令が出され、木曽の地にいた木曽義仲もこれに挙兵し、小県の依田城を目指す途中、義仲の忠臣今井四郎兼平がこの地で合流しました。義仲の馬はハードな日程に疲れ果て、一歩も進むことができ...

中山道本山宿より贄川(にえかわ)宿へ向かう途中の「白山神社」にあった湧水です。土木遺産 片平橋国道19号を挟み、白山神社対面には国道19号の旧道であった「片平橋」が残されています。車道としては廃道ですが、人は渡ることができます。奈良井川に架かるRC開腹アーチ(リブ+柱)橋として昭和10年に建設されました。平成20年に土木学会推奨土木遺産として認定を受けています。白山神社かなりの急勾配の階段を登って...

中山道本山宿の小林本陣前にある水場です。中山道が制定された当初は、江戸への近道として桜沢から牛久保峠を経て小野・岡谷・下諏訪へ至る「小野新道」が開かれ、本山宿は通らなくなってしまいましたが、1614年(慶長19)に元の塩尻峠越えの道筋に戻り、本山宿は中山道となりました。本山宿 小林本陣跡立派な雀おどりの建築が素晴らしい本陣です。古くから飲用水として利用してきた本陣の沢より引水していると書いてありま...

中山道本山宿から贄川宿へ向かい、贄川宿へ入る少し手前の若神子(わかみこ)バス停にあった水場です。若神子の水場地域の方の生活用水として守られているようですね。野菜を洗ったり、お花にあげたりに使っていると思われます。水量は随分多いですね。若神子の水場から80mほど進むとまた水場がありました。同じ水源だと思われます。座標:36.02424 137.86908こちらも先程と同じような作りの水場で、水量も多...

中山道本山宿から贄川宿へ入り、贄川駅の少し手前にあった水場です。国道19号からそれて、旧道が残っています。当時とはだいぶ変わってしまったかもしれませんが、こういった道が残っているのは嬉しいですね。旧道の途中には空き家があり、このような水場もあります。空き家に人が住んでいた頃は生活用水として役立っていたものでしょう。贄川宿の水場旧道から再び国道へ出るとすぐに水場があります。綺麗に保たれています。現在...

中山道、本山宿より贄川宿へと向かう途次、片平の集落を過ぎると桜沢となります。桜沢は江戸時代は高巻きで超えていたということを文献で読み、旧道が残っていないか鶯着禅寺のところから山へ登っていってしまい、見つけた水源です。山道をどんどん登り、トンネル工事の上に出てきました。桜沢のトンネルは、国道19号の新道としてトンネル区間約1.5kmを現在工事が行われています。トンネルが出来上がると木曽路の碑あたりか...

中山道、下諏訪宿より塩尻宿へ向かい、塩尻峠へと向かう途中にある「石船観音」にある「鳴沢清水」です。石船観音塩尻峠へと登っていく登口のあたりにある観音様です。峠越えの旅の安全を古来より見守ってきた観音様です。ここから徐々に坂道がきつくなってきます。本尊馬頭観音が船の形をした台座の上に祀られていることから「石船観音」と呼ばれています。特に足腰の悪い人に霊験あらたかであると言われているそうです。鳴沢清水...

中山道、奈良井宿へ行きましたので帰りに「本山そばの里」へより、お蕎麦をいただき、そのまま『池生(いけおい)神社』へ寄ってみました。本山そばの里の天ざるそば前回来たのは、2019年の11月でした。その時も美味しい天ぷらでしたが、今回もとても美味しかったです。池生神社本山そばの里から中央本線の踏切を超え、畑の中の道を進み、奈良井川を超えるとグランドがあります。グランドを過ぎるとすぐに池生神社が見えてき...

奥木曽湖の北にあるという「絆の力水」を求めて味噌川ダムまでやってきました。木曽川源流ふれあい館ふれあい館を過ぎたところから奥木曽湖東側を北上するとあるはずなのですが、ふれあい館から先はなんと『通行止め』!!ふれあい館の方にお話を聞くと、がけ崩れで通行止めとのことでした。西側の道は通じていますが、西側から回り込んで行くのも途中で通行止めとなっているそうです。結構前からで、復旧の目処も立っていないとい...

宿場用水は、飲用水、防火用の水場として昔から親しまれていました。どこの宿場にもあり、旅人の喉を潤してきましたが、現在このように残っている宿場は少なくなりました。奈良井宿を北から南へ歩いてみます。奈良井駅前の水場石積みから流れ出していますが、家の中に取り込まれたような造りになっています。木曽の大橋平成3年に造られた奈良井川に架かる総檜造りの太鼓橋です。樹齢300年以上の檜が使われているそうです。奈良...

松代の中心地から北東へ7kmほど離れた松代真田家ゆかりのお寺に湧水があります。1534年(天文3)に大室氏の出身で宗察という僧が開山し、その後荒れていた寺を真田信之の次女まさ(見樹院)が中興開基となりました。門や屋根には真田家の六文銭の紋が入っています。禅福寺の湧水エメラルドグリーンの池はとても神秘的です。光の散乱形態(レイリー散乱やミュー散乱)によるものか、アルミニウム等の金属イオンによるなどが...

旧北国街道『古間宿』近く、歴史ある水鉢です。古間の一里塚跡1821年(文政4)1月、一里塚に植えられていた松の木が雪の重みで折れ、その下にいた人馬が圧死した事故があり、一茶はこの事故を哀れんで句を詠んでいます。『一声に 此夜の鬼は 逃るかな』左手にある句碑は一茶の句と白飛の句が並んで彫られています。『ぬかるみに 尻もちつくな でかい蝶』一茶が小古間の湿地がぬかるみ、尻もちをついた跡が大きな蝶のよう...

こちらへ来るには途中、少し細い道がありますので気をつけてください。大日堂左手には数台止められる駐車場になっています。大日堂皆神山(みなかみやま)の北西山麓にあり、開山は江戸時代初期とされています。山頂の和合院に祀られていた大日如来を安置したことから大日堂と呼ばれていました。山火事によって焼失し、1868年(慶応4)に再建されました。かつてこの場所は松代藩士の野遊びの場となり、能舞台もあったといいま...

こちらの『古藻井の泉』へは自動車で行けそうにもないため、『大日堂の湧き水』の駐車場に止めたまま、徒歩で向かいました。大日池の南側を池沿いに東へ歩いていくと、アスファルト舗装の道と未舗装の道に別れます。そこを未舗装の道へ入っていきます。弧を描くように畑の中のあぜ道を進むと大きめのU型水路がありますので、そこを右へ曲がります。U型水路を皆神山(みなかみやま)へ向かって進むと到着です。大日堂から300m...

松代城下町には武士や町人が一緒に使うための水を流す3つの水路が整備されていました。『セギ』は、田畑に使う水が流れる水路です。『カワ』は道路沿いを流れ、野菜や鍋などを洗う水路として使用されていました。『泉水』は各家庭にある飲水用の池とそれをつなぐ水路をいいます。現在は生活には使用されていないと思われますが、『泉水』は現在も松代に残っています。水の出口はわかるのですが、入ってくる入口がわかりません。流...

會津比売(ひめ)神社初代科野国造の武五百建命の妻とされる「会津比売命」を祀り、妻女山の麓に鎮座しています。斎場山に布陣した上杉謙信は戦勝を祈願しました。上杉謙信槍先の泉手水に流れ出ているものが『上杉謙信槍先の泉』です。昭和時代に「上杉謙信槍尻の泉」の水をここ引いたものだそうです。水量は少ないため時間は掛かりましたが、採水できました。會津比売神社本殿住所座標採水日採水時間松代町岩野36.561064...

會津比売(あいずひめ)神社から長野自動車沿いに東へ進み、最初の自動車道をくぐるトンネルを進み妻女山展望台へ向かう坂道を登っていきます。ちょうど薬師山トンネルの入口近くになります。立派な石碑が建立されています。上杉謙信槍尻の泉の民話1561年(永禄4)川中島合戦の時、妻女山に陣を置いた上杉謙信は、戦いの勝利を神仏に祈願するため、時折、麓の会津比売神社や岩野村にあった聖観音菩薩像(伝行基作)に赴いてい...

しなの鉄道「屋代高校前駅」より北国街道・松代道を目指して歩いている途中の公園に手押しの井戸がありました。このタイプの手押しは壊れていることが多いのよね~と押してみるとちゃんと水がでました!『飲めない』と書いてありますので、飲用はできません。昭和61年、屋代団地A棟建設工事の折、遺跡発掘調査により確認したものを名残としてまた、地域のモニュメントとして公園内に設置しました。「現地案内板より」北中原遺跡...

贄川宿内で最初にあった水場です。本陣跡の少し手前(駅より)になります。住所座標採水日採水時間塩尻市贄川36.01004 137.858692021.4.37:40水温EC(μS/m)TDS塩分8.6℃49.432.80.00pHRpHDOCOD7.67.56.132つ目の水場は、ちょうど観音寺参道左手になります。(座標36.009457, 137.858170)観音寺鐘楼門観音寺の裏には「麻衣廼神...

押込一里塚跡この水場は、『押込一里塚跡』から60mほど手前(贄川宿側)にありました。押込の水場今でも大切に使われているようです。住所座標採水日採水時間塩尻市贄川35.99911 137.852592021.4.38:50水温EC(μS/m)TDS塩分9.0℃59390.00pHRpHDOCOD7.57.46.43※座標は、グーグルマップ、地理院地図、共通です。つめたい軟水でした。

長瀬の集落は国道19号から外れたので、現在も静かな佇まいの旧中山道です。このあたりには、『長瀬の薬屋』があったとされます。はっきりとした場所は不明ですが、「そば処ながせ」の向かいあたりではなかったかと思います。長瀬の薬屋この絵図は「中山道分間延絵図」ですが、「岐蘇路安見絵図(1756年(宝暦6発行))」には「長瀬村 家一軒あり 医者也 品々の合薬有」と記されています。「安見絵図」とは、見開き両面に...

奈良井駅前の坂道を登ってすぐにある「八幡宮」へ行ってみました。八幡宮元々は階段を登ってその上の旧国道よりも上に本殿があったといいます。現在の本殿は江戸末期の建築です。二百地蔵地蔵堂の前には聖観音をはじめ千手観音、如意輪観音などの観音像が200体ほど祀られています。神社南の沢のあたりに祀られていたものですが、沢が崩れて流れたため、鉄道敷設の際に集められたものがほとんどです。杉並木この杉並木の道は、初...

奈良井宿より鳥居峠へ向かい、登ってきました。約1時間30分かけてノロノロ登ってきました。峰の茶屋(中利茶屋跡)現在は立派な休憩所兼避難小屋が建てられていますが、江戸時代は中村利兵衛が経営する茶屋でした。石碑は、『芭蕉句碑』です。「皆無事に詣帰るや六根寿司し 鳥居峠口書俳人 柳月」と刻まれ、裏面には「中村利兵衛この地に眠る 長女 坂江はま江 中利文化財記念に建之 昭和45年6月」と刻まれています。塗...

旧中山道、奈良井宿より登り始め鳥居峠を過ぎ、しばらく行くと御嶽神社に到着します。御嶽神社の石仏群明応年間に木曽義元が戦勝祈願をして成就し、鳥居を建てたと言われます。その後鳥居は無くなっていたようですが、名前は残っていました。現在の鳥居は明治初年に再建されたものです。御嶽神社の鳥居から『鳥居峠』と呼ばれています。立派な社殿の横にはたくさんの石仏があります。どれも大きいことにびっくりしました。この大き...

奈良井から鳥居峠を経て峠をくだり、人家が増えてきた場所にありました。この辺りは、江戸時代から人家が多く、藪原宿はもう少し先ですが、宿場のようで一杯飯屋や塗屋などがあったといいます。街道左手に水場があり、「原町清水」と看板があります。原町清水水場の後ろには水神が祀られています。看板によると江戸時代からあった水場のようです。看板には「今でも飲水として使用しています」とあるので飲用できるお水だと思います...

藪原宿にはたくさんの水場がありました。のんびりブラブラ歩いてきましたら、曇ってきましたし、夕方になり薄暗くなってきてしまいました。二又水道組合の水場採水は、この二又水道組合の水場でいただきました。(仮)藪原宿北端の水場中央線が開通したために、中山道が分断され跨線橋へ回り道をしますが、回り道をして本来の中山道に合流してすぐの右手にありました。(35.93872 137.78469)(仮)古民家前の水...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、四柱神社参道にあるのが「なわて若がえりの水」です。明治12年に四柱神社が建立され、縄手は参道として賑わい、祭りには露天が並んでいました。「縄手」は細長い土手を指し、この場所は松本城のお堀と女鳥羽川に挟まれた土手でした。現在もたくさんのお店が軒を連ねています。なわて若がえりの水しっかり水質検査がされ、安心して飲用できるお水です。松本は東に筑摩...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、蔵シック館の前にあるのが「中町蔵の井戸」です。蔵シック館横の通り宮村町にあった造り酒屋「大穰酒造」の母屋、蔵、離れの3棟を移築したものです。見学はもちろん、展示会やお教室、コンサート会場として利用されています。中町蔵の井戸地下25mから汲み上げられている井戸で、手押しポンプも付いていますが、常時水がでています。こちらもしっかり水質検査がされ...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ「源智の井戸」です。城下町が形成される以前から飲用水として使用されていたといいます。往時、小笠原氏の家臣、河辺与三左衛門源智が所有しており、そこから「源智の井戸」と呼ばれるようになったと伝わります。源智の井戸松本の酒造業者はこの水を使って酒を作り、歴代城主は不浄を禁止する制札を出し清水を保護したそうです。現在も水汲みの方が絶えませんが、たくさ...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、鈴木伊織の墓所前にあるのが「伊織霊水」です。伊織霊水鈴木伊織墓所鈴木伊織は、松本藩士で貞享騒動の際には農民に深く同情し、入獄中の農民の助命を図り、救済に奔走したとされる人物です。貞享騒動(加助騒動)1686年(貞享3)、松本藩主、水野忠直は農民に無理な増税を強要、当時の周辺地域の1.5倍ほどの税としました。困窮した農民たちは多田加助をリーダ...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、日の出の泉「薬祖水」へ訪問しました。薬祖神社路地の奥に小さな社殿があります。昭和56年、茨城県大洗の磯前神社より勧請されたそうです。「くすりの神様」として業界の安泰と商売繁盛を祈願して祀ったと書かれています。薬祖水薬祖神社社殿の右側に設置されています。住所座標採水日採水時間松本市中央4丁目36.23382 137.976272021.5.1...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、「槻井泉神社の湧水」へやってきました。大きなケヤキが目印の小さな神社が槻井泉神社です。槻井泉神社881年(元慶5)に従五位下を授かった延喜式外の槻井泉神社との伝承がありますが、、定かではないそうです。昔は式外神社として立派なお宮で湧水の傍らに巨木があり、大きな森を形成していたといいますが、現在は小さな社で、森もありません。塩尻にも「槻井泉神...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、善哉(よいかな)醸造店の前にあるのが「女鳥羽の泉」です。女鳥羽の泉敷地内の地下30メートルから自墳している湧き水で、この地下水を使用してお酒を造っているそうです。松本は東に筑摩山地、西に北アルプスなどに囲まれた盆地となっており、また高瀬川、奈良井川、梓川などの大きな川によって形成された扇状地が広がっています。豊富な雪解け水や降水が盆地の地下...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つで、鯛萬小路にある「鯛萬の井戸」へ行きました。鯛萬小路という狭い路地に入っていきます。このあたりは「裏町」といわれ、商人町としてまた、職人町として物販、飲食、娯楽の中心地として発展してきたそうです。現在もその名残でしょうか、小さな飲み屋が軒を並べています。小路もわずか1mあるかないか・・かなり細い道で、すれ違いできないかも・・ポケットパークの...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、「地蔵清水」にやってきました。松本城松本城のすぐ北側の市役所北交差点の近くにあります。元々は、「市役所北交差点」にあったようです。地蔵清水中世の頃、この付近は湧水が多いため「泥町」、「柳町」などと呼ばれ、またこの付近は「生安寺」という寺があり、門前には「棒庄のいち」が立ち、賑わっていました。天正10年、小笠原貞慶は父祖ゆかりの深志城を回復し...

平成の名水百選にも選ばれた『松本城下町湧水群』の中の一つ、「北馬場柳の井戸」を訪問しました。北馬場柳の井戸看板よると、「松本城旧総堀埋立地にブクブク自噴していた湧泉を地元の人達が協力して井戸にした」とあります。そばに柳の木があることから「柳の井戸」と言われます。また、江戸時代末期の町名が「北馬場町」でした。江戸時代の絵図には、ほぼ同じ場所に井戸が描かれているようです。マンガンについての注意事項が書...

北国西街道(善光寺道)を松本側より刈谷原峠を越えた先にある『地蔵清水』を訪れました。刈谷原峠眺めは良くないですが、新緑が綺麗な場所でした。街道として機能していた当時の茶屋跡石垣や井戸跡が残っています。地蔵刈谷原峠から600mほど下った右手の斜面上にお地蔵様が2体並んでいます。地蔵清水地蔵清水は、地蔵の左手に流れています。沢になっており、どのあたりが湧水点であるかはわかりません。住所座標採水日採水時...

北国西街道(善光寺道)を会田側より立峠を越えた先にあるという『地蔵源水』を訪れました。立峠往時は、4軒ほどの茶屋があったそうです。唐鳥屋(からとや)城跡は、案内板の後ろからもう少し登り、尾根沿いを500mほどの場所のようです。立峠を青柳へ向かって400mほど下り、「古峠」とかかれた案内板の方向を見ますと、「地蔵原」と書かれた標柱とお地蔵様がありました。地蔵原のお地蔵様地蔵源水杉の木の根元から湧出し...

北国西街道(善光寺道)の青柳宿には往時の共同井戸が残されているそうです。その中の一つ、「丹花の井戸」を訪れました。桜清水「桜清水」と標識があるのですが・・・どれがそうなのかわかりません。鉄板が敷かれている場所でしょうか・・・丹花の井戸長い柄杓が置かれています。今でも利用しているのでしょうか。飲用には難しいと思いますが、畑やお花などへまく場合などには使用できるでしょう。住所座標採水日採水時間東筑摩郡...

北国西街道(善光寺道)、麻績宿の「麻績の水」を訪れました。御嶽社の御嶽碑1864年(元治元)、高遠石工の作品です。敷地内には、不動、双体道祖神や庚申石祠が並んでいます。麻績の水元々は水槽後部のパイプから湧出していたと思われますが、残念ながら水は出ていませんでした。別のパイプでもっと上流の水を引いているようです。水みちが変わったのでしょうか。住所座標採水日採水時間東筑摩郡麻績村麻上町36.45809...

北国西街道(善光寺道)の麻績宿から聖湖のある猿ケ馬場峠へ登る峠道にある『馬の水飲場』を訪れました。馬の水飲場北国西街道(善光寺道)を往来する馬や牛が飲んでいた水です。木製の水桶は更新されていると思いますが、往時が偲ばれる貴重な水場です。住所座標採水日採水時間東筑摩郡麻績村36.48205 138.063142021.5.411:13水温EC(μS/m)TDS塩分8.3℃2861890.02pHRp...

北国西街道(善光寺道)の麻績宿から聖湖のある猿ケ馬場峠へ登る峠道のお仙の茶屋跡奥にある『弘法の清水』を訪れました。お仙の茶屋跡往時、茶屋にはお仙という美しい娘が住んでおり、旅人や村の若者の憧れの的だったといいます。その一節が麻績村、番場節の一節に残されています。『峠ナー恋しや 清水の茶屋のヨイヨイ 店にゃお仙が 待っている』番馬節は、農民の草刈り歌でお仙の茶屋があった頃その美しい娘お仙を村の若者が...

中山道木曽十一宿、江戸寄りから3番目の宿場、「藪原宿」にある藪原神社へ立ち寄ってみました。駐車場は極楽寺の石垣と藪原神社の石段の間のスロープを登ると駐車スペースがありますが、ちょっと細い道です。極楽寺の駐車場は入れやすいです。極楽寺墓地の駐車場は、極楽寺山門より80mほど南になります。藪原神社680年(天武9)の創建と伝わります。三野王(美濃王)が勅使として信濃国巡視を行った際、熊野本宮大社より勧...

日義地区は、木曽義仲が幼い頃より平家追討へ出立するまでを過ごした土地です。たくさんの義仲伝説が残ります。南宮神社南西約1kmの「古宮平」という所にあった村の鎮守が前身です。宮ノ越という地名はこの宮の腰(中腹)を意味するものと言われています。後に美濃関が原の南宮大社を勧進し、現在地に移したもので、義仲戦勝祈願所となった場所です。旭乃瀧古文書に記された幻の滝でしたが、2014年に氏子ら有志が山腹を流れ...

日義村、山吹山の麓、木曽川の「巴渕」のすぐ近くにあり、中山道分間延絵図にも描かれている歴史ある清水です。許六句碑『山吹も巴もいでて田植かな』正面に大きく「巴淵」、右脇に句が刻まれています。森川許六は芭門十哲の一人であり、狩野派の絵師でもありました。ちょうど田植えの時期でしたが、山吹も巴も見られず、機械で田植えが行われていました。巴ヶ淵伝説では、この淵に住む龍神が木曽義仲の養父、中原兼遠の娘として生...

「南宮神社手洗水」を過ぎて宮ノ越方面へ進むと文字道祖神があります。ここから右手へ短い坂を登ると墓地へでます。墓地を突き抜けて北西へ進むと水場があります。周辺は「徳音寺集落」となります。徳恩寺は元々この徳恩寺集落にありましたが、山崩れや水害のため現在地(宮ノ越駅近く)へ移転しましたが、「徳音寺」という地名が残っています。このあたりは旧寺屋敷で、石仏や共同墓地が残されています。近くの沢から引いていると...

木曽義仲が平家打倒の旗挙げをしたという「旗揚八幡宮」へ伺いました。旗挙八幡宮の大ケヤキ木曽義仲の元服を祝って植えられたとも旗挙げ時に植えられたとも言われています。樹齢800年の大ケヤキは落雷や台風によって傷つき、平成14年に延命のため枝一本を残し、上部は伐採されました。また傍らの2代目のケヤキは樹齢150年になります。幼名を駒王丸といい、養父中原兼遠によって育てられた義仲はこのあたりの平地に城を構...

中山道木曽十一宿、宮ノ越宿の「徳音寺」に伺いました。徳音寺の鐘楼門鐘楼門は木曽義仲24代の孫、木曽玄蕃尉義陳の発願により、尾張藩の犬山城主、成瀬年人正藤原正幸の母堂が施主となって1723年(享保8)に巾番匠棟梁藤原朝臣大和流狩戸弥兵衛久正の手によって建立されたもので、「木曽八景」の一つに数えられています。義仲墓一番上の中央が義仲の墓、1段下の左手が巴御前のお墓、右手が小枝御前墓です。巴御前の法号は...

釜井庵や長興寺がある本洗馬、仁科街道から「阿礼坂」を登った突き当りにある井戸です。さらに南へ100mほど行くと東漸寺のシダレザクラがあります。阿礼坂奈良井川の段丘の1段上へ出るために阿礼坂を登ります。見た目は井戸ですが、水は沢からパイプで引いているようです。木製の板にいろいろ文字が書いてありそうなのですが、全て消えており全く読むことはできませんでした。住所座標採水日採水時間塩尻市洗馬上組36.10...

木曽義仲伝説の残る塩尻太田の『太田の清水』を訪れました。太田の清水『木曽どのと馬あらふ里よ水清し』木曽義仲が馬を休めたとの伝説が残されています。「塩尻市ふるさとの水20選」に選ばれていますが、水がでていませんでした。時期的なものでしょうか・・・枯れてしまったのでしょうか。※座標は、グーグルマップ、地理院地図、共通です。住所座標採水日採水時間塩尻市洗馬36.10965 137.922712021.6...

道の駅 『日義木曽駒高原』にある『木曽駒冷湧水』を訪ねました。中山道東西中間之地碑道の駅は「中山道」から100mほど離れていますが、この付近が中山道の江戸と京都の中間地点になります。奥は「駒岳の夕照碑」で、『木曽八景』の一つ、「駒ヶ岳の夕照(こまがたけのせきしょう)」、ここから駒ヶ岳が見えるはずですが・・・今日は曇っていて見えませんね。残念!木曽駒冷湧水蛇口がついています。水道になっているとは・・...

木曽福島宿、山村代官屋敷の前にある『代官清水』を訪れました。山村代官屋敷木曽谷の幕府直轄地支配を任される木曽代官であった山村代の権力は絶大で、屋敷は福島小学校を含めた広大なものでしたが、現在残っているのは城陽亭のみです。代官清水城陽亭の前に水場が設けられています。山村代官屋敷内には往時は庭園が20あり、築山泉水の庭が5つあったとされ、その池の水もこうした用水が利用されていたのでしょう。飲用には適さ...

中山道、木曽路の『福島宿』を訪れました。上の段用水福島宿も大火のため古い町並みが残ってない部分が多いですが、大火を免れた上ノ段には古い町並みが残っています。大通寺を中心とした付近には木曽義昌の「上之段城」があったとされます。福島宿はあちこちに用水が流れ、多くの水場が改修されつつ残されています。住所座標採水日採水時間木曽郡木曽町福島35.84908 137.696352021.7.2214:20水温...

木曽町日義、「宮ノ越宿」を訪れました。宮ノ越宿本陣木曽十一宿で唯一現存している本陣です。周辺は近年に綺麗に改修されたようです。町川用水南宮神社の中を通っていた「町川用水」が本陣横にも流れていました。木曽川支流の野上川から取水された水は、険しい山腹の下段を町川用水、その上段を上堰の2系統の水路により、約20haの農地へと運ばれています。水車には龍が乗っており、カッコイイ造りになっていました。本陣横の...

木曽町新開、宮ノ越宿から福島宿へ向かう途中にある『手習天神』を訪れました。手習天神古くは山下天神と呼ばれ、木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として北野天満宮を勧請したものと伝えられています。手習天神の水場手習天神下の中山道沿いに木をくり抜いた水舟が置いてあります。木曽駒高原からのものと思われます。住所座標採水日採水時間木曽町新開35.86296 137.728132021.7.2210:0...

木曽町、木曽福島にある『権現水』を訪ねました。中山道、木曽福島宿にある木曽三大寺の一つである長福寺と興禅寺の間にあります。権現水戦国時代には福島城がありましたが、その城山の権現滝付近から引いてきた水場で、上下水道敷設後も近隣の人たちに親しまれてきた水場です。権現滝は、中畑から権現沢を登ると滝へ至ります。(35.852975 137.688611)木曽義仲が平家追悼の兵を挙げた祭に、この滝で御嶽大権...

中山道福島宿の『牛越用水』を訪れました。牛越小路中八澤橋の正面の細い「牛越小路」を登っていきます。登りきると左手に「牛越用水」があります。牛越用水応永年間(1391~1428)に木曽親豊が小丸山城を築きました。主(うし)の越(主の館近くの場所を主の越という)の意味だといいます。この用水は小丸山の地下水を引いて館の用水としていたものです。飲用できると書かれています。住所座標採水日採水時間木曽町福島八...

中山道の須原宿を訪れました。須原宿は水舟が至るところにありました。正岡子規歌碑と水舟『寝ぬ夜半を いかにあかさん 山里は 月出づほどの空だにもなし』子規が木曽路を歩いたのは明治24年、「かけはしの記」が残されています。またこの旅をもとに翌年、漢詩「岐蘇雑詩三十首」を著しています。水舟の里 須原須原宿は『水舟の里 須原』と銘打ち、多くの水場が設けられています。定勝寺の水場住所座標採水日採水時間木曽郡...

旧中山道を上松宿より須原宿へ向かう途中の荻原集落にある「風越山の湧水」を訪れました。寝覚の床より2kmほど西へ進んだ場所です。風越山の湧水昭和30年頃より飲用として、また生活用水として利用されてきました。水質検査もされていますので、安心して飲むことができます。浄財を入れると音楽が鳴る楽しい仕掛けがされていました。風越山は荻原集落より北東3kmほど、標高1698mの山です。地元の方々にとても大切にさ...

中山道、上松宿から須原宿へむかう途中にあった水場です。神明神社大きな杉に囲まれるように小さな社殿があります。杉は「村指定天然記念物」に指定されています。水場沢から取水しているようです。糸瀬山(1866m)などの木曽山脈からの清水です。住所座標採水日採水時間木曽郡大桑村須原35.707087 137.7028622021.7.248:30水温EC(μS/m)TDS塩分18.9℃4630.80.00p...

中山道、上松宿より須原宿へ至る途中の『立町』という集落に残る水場です。立町立場江戸時代、旅人の休憩場所であった「立場」があった集落です。立場には茶屋があり、旅人は杖を立て掛けて休憩を取っていました。明治13年、明治天皇が中山道を通られた折も、ここで小休しています。立町の水場3か所ほど確認できました。木曽山脈から流れ出る水です。立町の水場通りかかった際には水場の近くでビニールプールで遊ぶ子どもたちを...

旧中山道、福島宿から上松宿へむかう途中の神戸集落で見つけた水場です。「神戸」は「ごうど」と読みます。神戸集落からもう少し登っていくと「御嶽山遥拝所」がありますが、樹木が覆っていてここから御嶽山は見えませんでしたが、さらに200mほど上ると天気が良ければ御嶽山が見えます。国道の道の駅木曽福島からも見ることが出来ます。木曽山脈、駒ケ岳から流れ出た清水です。住所座標採水日採水時間木曽町福島神戸35.82...