神 奈 川 県 の 湧 水

岡本太郎湧水 川崎市多摩区枡形 上川井市民の森の湧水 横浜市旭区上川井町
蒔田の森湧水 横浜市南区蒔田町山ノ根 日ノ出湧水 横浜市中区日ノ出町2丁目
ワシン坂の湧水 横浜市中区山手町 打越の霊泉 横浜市中区打越
いっぺい水 横浜市磯子区杉田9丁目
掃部山の湧水 横浜市西区花咲町4丁目 昇龍橋の湧水 横浜市栄区長倉町
太刀洗水 鎌倉市十二所 御硯水 鎌倉市大町4丁目
走水神社の御神水 横須賀市走水 滝の井戸 横須賀市走水2-8-5
立石不動の湧水 横須賀市秋谷 子安の霊泉 横須賀市秋谷
石井不動の湧水 横須賀市平作 天女水 横須賀市西浦賀3丁目
荒崎海岸の湧水 横須賀市長井 -
亀の泉 逗子市小坪 殿の井戸 逗子市小坪
涌井戸 三浦郡葉山町木古庭 寿福寺の井戸 鎌倉市扇ガ谷
まいまいの泉 秦野市今泉 秦野名水 秦野市大秦町
弘法の清水 秦野市大秦町 太閤憩の泉 小田原市石橋
今泉名水桜公園 秦野市今泉

神奈川県記事一覧

川崎の生田緑地内にある『岡本太郎美術館』脇にある湧水です。生田緑地は、クヌギ・コナラを中心とした雑木林や谷戸の湿地など里山や樹林帯の美しい風景が残る広大な緑地です。美術館の屋外にはこうした作品があります。生田緑地の東口駐車場より山を越えて美術館前まできますと、大きな階段下左手に崖があり、そこから流れています。水量は少なく、夏場には涸れている時期もありました。長い間雨が少ないと涸れるようです。住所座...

東は追分市民の森、矢指市民の森と連なり、西は瀬谷市民の森と繋がっていて、横浜市の中でもまとまった緑の残る地域です。私が訪れたときはまだ市民の森ではなく、ただの「森」でした。現在は柵などがされて、園路以外の部分は入れないところもあります。森の中央部の谷戸から流れ出し、小さな小川になっていきます。渇水期のため、水量は少ないですが小さな小川はやがて保土ヶ谷カントリーの池へ流れていきます。住所座標採水日採...

蒔田の森一帯は蒔田城のための馬場があったとされ、かつては「馬場の森」(ばんばのもり)、「馬場谷」(ばばやつ)と呼ばれていたそうです。公園内には蒔田城の解説板などもあります。流れ出た湧水が池になっています。鎌倉時代の森家の表門「辰巳門」が公園東側にありました。門は4本の柱と茅葺屋根で造られ、馬に乗ったまま通れる高い門だったそうです。第二次大戦で焼失し、4つの礎石だけが残っています。水路をたどり、公園...

かながわ景勝50選である「秋谷の立石」から山側にすこし入ったところに立石不動があります。車で入っていくのは少々無理がありますので、車は立石駐車場へ停めるしかありません。立石不動の不動滝この不動尊をいつも管理している100歳に近いおばあさんのお話によると、不動滝が有名ですが、その滝の横からは湧水がでているそうです。この湧水を不動尊入口横のカエルの口がついた手水鉢まで導水しているそうです。手水鉢の石の...

『走水』の地名は、古く古事記や日本書紀にも見られます。大和朝廷の時代には、上総(千葉)を経て東北へ至る最も便利な道として、古東海道が通じていました。走水神社走水神社の創建は、享保年間の火災により記録が焼失しており、はっきりしませんが、伝承では景行天皇の即位40年(110年)、東夷征討のため日本武命がこの走水から上総へ渡る折に村民に「冠」を賜りましたので、この冠を石櫃に収めてその上に社殿を建て日本武...

小坪湾に面した小坪漁港は古くから栄え村の中心でしたが、戦後に小坪湾に切れ込む谷戸を囲む台地上に宅地が開発されました。そんな台地下に涌く湧水です。「吾妻鏡」によると、源頼朝は妾の『亀の前』を小坪の小忠太光家宅に住まわせていたとされます。「亀の泉」の亀は、「亀の前」から名付けられたものでしょうか・・・?災害時の生活用水にも活用するなど、地域のシンボルとして守っていこうということで、湧き水の周りに石を積...

走水の覚栄寺へ入り、本堂右手へ行くとあります。走水は道が狭く、駐車場も少ないのでかなり困ります。漁港に駐車場がありますが、釣船客専用です。唯一あるのが走水神社の駐車場になります。永覚寺東側の小路を登っていっても行けます。崖下に古いコンクリートの水槽があり、湧水をたたえています。水槽の中にはお腹のふくらんだ大きな金魚が一匹泳いでいました。何かの病気でしょうか・・水量は割りとあります。覚栄寺本堂左手墓...

「かつては天女水から湧き出た水は浦賀港へ注いでおり、掘割は船の運送路として利用されていた」と案内板にかかれており、昔は大量の湧水が流れていたのでしょう。現在は住宅に囲まれて窮屈そうな『天女水』です。わかりにくい場所にありますが、柵の下、階段を何段か下りた場所にあります。天女水の碑「三浦古尋録」の著者で浦賀の文人、加藤山寿が1812年(文化9)に建立したものです。碑には「高坂の弁天堂の近くの田の間か...

海岸沿いの国道134号、湘南国際村秋谷入口からトンネルを抜けた先、100mくらいで右にぐるっと回り、細道を進んですぐの崖の縁にあります。駐車場もなく、道も細いのですが、水汲みの人も多いので駐車できない場合もあります。以前の御瀧不動尊は大雨により瀧は涸れ、不動様も行方不明となったそうです。その後前の道で幾度と無く事故が起こるため、お社の跡を掘ってみると逆さになった不動様が埋まっていたので、改めて今の...

横浜市の市街地を流れる大岡川のたもとにある湧水です。こんな場所に湧いていることが不思議に感じられますが、水源は野毛山とされ、東小学校の脇から鋳鉄管が埋設されていることが確認されているそうです。東小学校からは約300m導水されていることになります。横浜市内でこれほど水量のある湧水は珍しいです。案内板には、『この湧水は歴史的に由緒あるもので古くから地域の生活用水として広く利用されてきました。幕末・明治...

葉山国際カントリー北側の民家前にある湧水です。「わくいど」ではなく、「わくりど」と読むようです。水神様の小さな碑が祀られています。個人のお宅のものですので、勝手には頂けません。お願いしてお話を伺いました。綺麗な透明なお水です。砂の下からどんどん、まさしく「涌く」という状況でした。こちらは洗い場として作られています。水道が引かれる前までは、飲用水として使用していたそうですが、現在はゴルフ場もあり、飲...

鎌倉には、『鎌倉十井』と呼ばれた史跡的な井戸が存在します。水質の良くなかった鎌倉で飲水として適するものが、江戸時代に定められたようです。現在水を汲めない井戸も多々ありますが、今でも水をたたえている井戸もあります。こちらの井戸は十井ではありませんが、寿福寺は源頼朝が没した翌年の1200年(正治2)、正室のの北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した由緒のある古刹です。寿福寺のトンネル自然...

秦野盆地湧水群の一つ、「まいまいの泉」を訪れました。秦野の北側及び西側は丹沢山地、南側は渋沢丘陵(大磯丘陵の一部)、東側は弘法山に囲まれ、盆地となる秦野は芦ノ湖を上回るほどの水量の地下水を有していると言われ、名水百選にも選ばれています。秦野市南公民館の入口付近にあります。地下20mから自噴しているそうです。駐車場もありますし、蛇口が3つもあり、水汲みには最適です。秦野盆地の下には丹沢などからの湧水...

秦野盆地湧水群の一つ、「秦野名水」を訪れました。秦野の北側及び西側は丹沢山地、南側は渋沢丘陵(大磯丘陵の一部)、東側は弘法山に囲まれ、盆地となる秦野は芦ノ湖を上回るほどの水量の地下水を有していると言われ、名水百選にも選ばれています。秦野駅北口の広場にあります。こちらの「秦野名水」は自噴でなく、ポンプで汲み上げているようです。秦野市のパンフレットには「飲用」と書いてあるので、飲めるようですね。秦野の...

秦野盆地湧水群の一つ、「弘法の清水」を訪れました。秦野の北側及び西側は丹沢山地、南側は渋沢丘陵(大磯丘陵の一部)、東側は弘法山に囲まれ、盆地となる秦野は芦ノ湖を上回るほどの水量の地下水を有していると言われ、名水百選にも選ばれています。秦野駅から東に200mくらいのところにあります。周辺は住宅街で狭い道の脇にあり、秦野湧水群を代表する湧水です。弘法の清水地元では「臼井戸」と呼ばれているそうです。法師...

箱根ターンパイク沿いにある水汲み場『太閤憩の泉』へ寄ってみました。太閤憩の泉小田原から大観山へ向かう方面の箱根ターンパイク、中間あたりにあります。路肩が広くなっていて、数台の駐車が可能です。なんと!、水がでていません・・・冬だからなのか、導水管が破損したなどの問題でしょうか。枯れてしまったのか・・・。全く不明です・・・「飲用には適さない」と看板がありましたので、たとえ出ていても飲むことはできない湧...

秦野盆地湧水群の一つ、「今泉名水桜公園」を訪れました。秦野の北側及び西側は丹沢山地、南側は渋沢丘陵(大磯丘陵の一部)、東側は弘法山に囲まれ、盆地となる秦野は芦ノ湖を上回るほどの水量の地下水を有していると言われ、名水百選にも選ばれています。今泉名水桜公園は、無料の駐車場やトイレも完備した新しく、綺麗な公園でした。大きな池はあるのですが。。湧水点がわかりません。泥が動いていましたので、恐らくこの下あた...

長井海の手公園ソレイユの丘の西側、崖下の海岸沿いにある湧水です。荒崎公園の東側、対岸になります。ここへ行くには、かねしち丸水産の店の前を通り、暮浜港(栗谷浜港)へ出て、海岸沿いの岩場を100mほど進むとソレイユの丘の崖下へでます。かねしち丸水産の前は行き止まりに見えますが、そのまま進むと港へ出られます。対岸の荒崎公園このあたりの海岸の岩石は、数千万年前、まだ三浦半島が海底であったころに堆積した黒く...

衣笠山の西側斜面にある石井不動尊にある『石井不動の湧水』を訪ねてみました。道が細く、駐車場もありません。車を停めるスペースも周囲にはないような場所です。石井不動の湧水石井不動尊の石段の下、左手に竹筒より流れ出ていました。小さな池を形成し、セリ、セキショウなどの湿生植物が美しく茂っています。平作三井戸(伝馬場、越水)の一つであり、昔から湧水が豊富で涸れたことがないとされます。昭和35年頃、上水道が引...

小坪海岸から北へ150mほど、古東海道沿いに残る歴史ある井戸『殿の井戸』を訪れました。小坪マリーナから幅2mほどの狭い道を進むと坂の正面に見えてきました。この小路は車も入れない狭隘道路ですが、「古東海道」であったといいます。古東海道とは、江戸時代に東海道が整備される以前の東海道で、相模国→上総国→下総国へ向かうルート。三浦半島の走水より海を渡り、房総半島へと向かいます。殿の井戸鎌倉時代初期の御家人...

栄区長倉、鼬川沿いにある「昇龍橋の湧水」です。環状4号線、栄区長倉の「八軒谷戸」交差点、庄戸地区へ上がる橋とセブンイレブンのとの間の細道を下りていくと鼬川へ出られます。川沿いを右へ曲がると昇龍橋(しょうりゅうきょう)があります。環状4号から少し入っただけですが、景色は一変し、ここは本当に横浜なのかな・・と思うような自然豊かな景色となります。昇龍橋上郷(旧上野)の村社「白山社」の旧社殿の参道にかかる...

掃部山公園崖下に湧く湧水です。掃部山は、江戸時代までは「不動山」と呼ばれており、明治初期には外国からやってきた鉄道技師の官舎があり地下から湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことから、「鉄道山」と呼ばれていたそうです。1884年(明治17)に旧彦根藩士が買い取り井伊掃部頭直弼家の所有となったころから「掃部山」と呼ばれるようになったようです。公園内には、1909年(明治42)、横浜開港50年記念に...

港の見える丘公園などがある山手台地の下、ワシン坂を下りきったT字路に湧き出ています。なぜ「ワシン坂」と呼ばれるようになったかは諸説あるようですが、和親条約のワシンからきたとするもの、鷲見坂がなまってワシン坂とするもの、ワシン(ウシン)という外人がこの付近に居住していたからだとするもの、又坂下に清水が湧き出るところから「ワキシミズザカ」が外国人達によって「ワシン」坂となったとするものなどあるそうです...

東海道保土ヶ谷宿から金沢区の六浦陣屋(現金沢八景駅)へ至る古道であるかなさわ道沿いの崖下より湧出している『いっぺい水』です。笹下釜利谷道路を東へ1本入った笹下川沿いにあります。周囲は密集した住宅地です。いっぺい水元々は自然の崖だったようですが、近年、崖崩れが懸念され、コンクリート法枠がなされパイプがはめ込まれ、湧水を残す形に設備されています。笹下川の河岸段丘の段丘崖からの湧水です。『いっぺい』の名...

安政年間の横浜港開港時、ジェラールが最初に水源とし、船場に給水した湧水と言われている『打越の霊泉』です。大正12年の関東大震災時、昭和20年の大空襲時、共に人々の生命を救った湧水とされます。 写真左手、坂の上の緑地は、2016年4月の調査時には、マンションの建築工事が始まっていました。この工事により、「打越の霊泉」は涸れるかもしれません。打越の霊泉住所座標採水日採水時間横浜市中区打越4235.44...

鎌倉霊園南側の崖下、十二所神社より朝夷奈切通へ向かう途中にある『太刀洗水』です。 太刀洗水鎌倉五名水の一つであり、1183年、梶原景時が上総介広常を討った後、太刀の血を洗い流したという伝説が残されています。十二所神社から300mほど進むと舗装がなくなり、景色は一変します。太刀洗水を過ぎ、朝夷奈切通へ登っていくと凝灰質泥岩(シルト)、砂岩が露出した路面が特徴的な道となっています。朝夷奈切通泥岩に観音...

額田記念病院東側に駐車場があり、崖へ向かって進み突き当りを左へ進むと歴史ある井戸『御硯水』が見えてきます。御硯水御硯水は、日蓮が松葉ヶ谷妙法寺に住んでいた時に硯の水などに使用した井戸と言われています。日蓮は松葉ヶ谷妙法寺に20年ほど居住し、布教活動の拠点としていたといいます。妙法寺は北へ50mほどのところにあります。井戸は2003年(平成15)に綺麗に整備され、手押しポンプが付けられ、誰でも使用出...