安政年間の横浜港開港時、ジェラールが最初に水源とし、船場に給水した湧水と言われている『打越の霊泉』です。

大正12年の関東大震災時、昭和20年の大空襲時、共に人々の生命を救った湧水とされます。

  TOO001 写真左手、坂の上の緑地は、2016年4月の調査時には、マンションの建築工事が始まっていました。この工事により、「打越の霊泉」は涸れるかもしれません。

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打越の霊泉

住所 座標 採水日 採水時間
横浜市中区打越42 35.447222 139.638611 2016.4.2 5:40
水温 EC(μS/m) TDS 塩分
16.9℃ 305 204 0.02
pH RpH DO COD
7.01 7.18 6.4 3
※座標は、グーグルマップ、地理院地図、共通です。

2020年追記 2020年現在、マンション工事が終了しましたが、霊泉は今でも流出しています。ですが、崖線はマンションの通路として削られ、涵養域である緑地もなくなった今でも湧出しているのはかなり不可解です・・・・また霊泉周辺はコンクリートで固められ、以前のような石組みはなくなり、コンクリートの枠になってしまいました。かなり残念な仕上がりです。

なぜこのような形になっても湧出しているのか・・その答えは神奈川新聞が運営する「カナコロ」のサイトにありました。明治期にフランス人実業家ジェラールが船舶給水事業を起こす以前に打越周辺で湧き水を採取し、飲用水として外国人居留地に供給していた史実があります。そしてマンション工事の際に地下にある空洞状の遺構が発見されたといいます。つまり、打越の霊泉はこの場所から湧水しているのではなく、ジェラールが水道施設として築造した給水タンク的なものから出ていたものだと思われます。確かに打越の霊泉は3度調査をしていますが、水温にブレがありました。一旦貯水した湧水と考えれば、季節的影響を受け、水温に変化があるのもわかります。

ジェラールの給水施設については、『山手の湧水』に記載したいと思います。

更には、「施工業者は「井戸を掘り、水を引く工事を始める。」とありますので、打越の霊泉は井戸の水に変わってしまったようです。